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格闘技名勝負列伝 第5回 “ランボー”ポンシリ・ポー・ルアムレディーvs山崎通明

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「’90格闘技の祭典」
1990年7月6日 東京体育館

▼キックボクシングルール 3分5R
○“ランボー”ポンシリ・ポー・ルアムレディー(タイ/IMF世界フライ級2位)
KO 2R2分8秒 ※3ノックダウン
●山崎通明(東金ジム/MA日本フェザー級王者)

■ムエタイの伝説的な小さな英雄現る!

 80年後半~90年初頭にかけて、タイおよびヨーロッパで人気を博した伝説的ムエタイ戦士がいた。その名はポンシリ・ポー・ルアムレディー。

 17歳でムエタイの2大殿堂のひとつルンピニースタジアムに初出場し、蹴り技が主体のムエタイでは珍しい、パンチを主体とした攻撃で同スタジアムの人気ナンバーワンになった選手である。前へ前へと出て行く勇敢なスタイルから、名付けられたニックネームは“ランボー”。

 ランボーが、いかにタイで人気者であったかを表す有名なエピソードがある。通常、ルンピニースタジアムを始めとするムエタイの試合では、日本のように入場テーマ曲が場内に流れることはない(最近のTHAI FIGHTなどでは入場テーマ曲がある)。しかし、ランボーだけは映画『ロッキー』のメインテーマ曲での入場が許されたのである。入場曲が流れると、場内からは「ランボー! ランボー!」の大合唱が起こり、小さな英雄を迎えたという。

■軽量級とは思えない迫力!攻撃力!

 そのランボーが2度目の来日で行った試合が山崎戦だった。すでに日本でも話題になっていたランボーは、同じ年(1990年)の5月に初来日し、外国人キックボクサーのジャイー・サダーと対戦して判定勝ち。山崎戦が初めての日本人選手との対戦となった。

 山崎はこの当時、MA日本キックボクシング連盟のエースで、無敵の快進撃を続けていた。一方のランボーは、タイでは実力に陰りが見えて人気ナンバーワンの座から追われていたが、IMF(世界ムエタイ連盟)の世界サーキットツアーでヨーロッパ各地を転戦。各地のトップ選手を相手に勝ち星を重ね、国際的な人気者となっていた。

 いくらタイでの地位が下がっていても、フライ級近辺ではランボーと実力が見合う日本人選手は見当たらない。そこで白羽の矢が立ったのが、4階級上の山崎だった。さらに契約体重は山崎が57kg、ランボーが55kgというハンディマッチとなり、日本のリングで行われるという地の利も含めて山崎に有利な条件は揃っていたのだが……。

 1R、ランボーはムエタイの定石通り、相手の様子を見る。山崎はここがチャンスとばかりに、得意の左右フックで攻めて行った。

 しかし2R、ランボーがパンチで逆襲すると、流れは一気に変わった。左右の猛打で山崎の動きを止め、軽快な動きで山崎から立て続けに3度のダウンを奪ってKO勝ち。山崎はしばらく立ち上がれないほどのダメージを負った。

 東京体育館という大会場で、軽量級でありながらムエタイの強さ、迫力を存分に観客へアピールしたランボー。現在、日本のキックボクシング界には江幡兄弟を始め、瀧谷渉太、藤原あらし、Dykiなど軽量級の実力者が揃っている。もし、ランボーが現在に現れていたなら、彼らと歴史的名勝負を繰り広げていたに違いない。

写真提供/ゴング格闘技

このコラムの動画がここに! 完全ノーカットで公開!

▼キックボクシングルール 3分5R
○“ランボー”ポンシリ・ポー・ルアムレディー(タイ/IMF世界フライ級2位)
KO 2R2分8秒 ※3ノックダウン
●山崎通明(東金ジム/MA日本フェザー級王者)

 

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