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 7月6日付けのブログにて、突如「11年間ありがとうございました」とのタイトルで、「格闘技選手としての活動を休止」することを発表した石田。修斗、PRIDE、 DREAMで活躍し、世界の強豪たちと日本代表として戦ってきた石田に何があったのか? 活動休止宣言の真意を聞いてみた。(取材日:2012年7月19 日)

PROFILE
石田光洋
(いしだ・みつひろ)
1978年12月29日、茨城県出身
身長168cm、体重69kg
レスリングをバックボーンに2001年7月6日、プロ修斗でデビュー
2006年2月17日、修斗環太平洋ウェルター級王座を獲得
2006年4月2日、PRIDE武士道に初参戦し、爽やかなイメージで人気を博す
同年6月4日、五味隆典を破ったマーカス・アウレリオを圧倒して判定勝ち
同年12月31日、五味隆典に挑んだが、TKO負けを喫する
2007年12月31日、ギルバート・メレンデスに判定勝ち
2008年3月15日、DREAMに旗揚げ戦から参戦
宇野薫、中村大介、DJ.taikiらとしのぎを削る
2010年11月23日、シュートボクシングに挑戦するも鈴木博昭にKO負け
2011年12月17日、DEEPでチェ・ドゥホにKO負け
T-BLOOD所属

■チェ・ドゥホ戦を映像で見て大きなショックを受けた

ーー7月6日付けのブログで突然「格闘技選手としての活動を休止」することを発表されて、驚きました。決断されたきっかけは何だったのでしょう?

「一言でいうのは難しいです。試合のこと、年齢のことなどいろいろなことを考えて凄く悩んだんですが、決断をしました」

ーー昨年の12月17日にDEEPでチェ・ドゥホと試合をしたこと(1R1分33秒、KO負け)も大きかったのでしょうか?

「あの試合も大きかったですね。あの試合を映像で見た時に、ショックが大きかったです。ああいう試合をしてしまった自分を見て、自分がショックを受けたというか。この例えは御幣があるかもしれませんが、レスリングをやっている人が初めて総合格闘技をやっているような試合でした。

 打撃も混ぜないでただタックルに入るだけで、自分の得意分野だけで勝負をしてしまっているような……今の総合格闘技の試合に適応した戦いをしていなかった。自分がこういうことをしてしまったんだな、とショックは大きかったです」

ーーなぜそのような試合になってしまったのでしょう?

「うーん……なぜですかね。分からないです」

ーードゥホ戦の前から現役を続けるかどうかという迷いはあったんですか?

「いえ、考えていませんでした。ヨアキム(・ハンセン=5月29日・DREAM、判定負け)戦後、久しぶりに試合を組んでいただけましたし、結果を残せばタイトルマッチにつながる試合でしたから、この試合は絶対に勝ちたい、いい結果を出したいという気持ちしかありませんでした」

ーードゥホ戦後は、復帰に向けて練習はされていたんですか?

「いえ、していませんでした。正直なところ、試合後に映像を見てショックが大きかったので“もうダメかな”という意識も少しあったんです。

どうしようかなという迷いがあったので、(桜井)隆多さんや岩瀬(茂俊)さんに相談しました。とりあえず試合が終わったばかりだったので、気持ちの整理も全然ついていなかった状態でしたし、ダメージもあったので。

 でも、身体を動かせる時に少し動かす程度にしておいて、気持ちが戻ればもう1回やっていこうかなっていう気持ちはもちろんありました。それで時間が経つにつれて気持ちも少し戻ってきたので、練習も通常通り始めました」

ーーそれにも関わらず今回活動休止を決めたのはなぜなのでしょう? ・・・

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