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【空手】極真伝説の大山道場の航空写真と道場跡を巡る

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2015/07/10(金)UP

この建物はバレエスタジオから大山道場を借り受けた昭和31年は横向きだったが、まもなく、曳家技術で縦に移動したと思われる。右横にアパートが六棟建った(国土地理院所有)。

 この場所を借りたきっかけは大山の目白3丁目の自宅からこの建物内の榎本誠バレエ学園(現・東京バレエ劇場 東京都新宿区)は近く、大山は長女にバレエを習わせていた。それが縁で榎本と家族ぐるみの付き合いが始まった。「昭和31年の結婚を機に、新宿区にある私の実家をバレエスタジオに改装(現在に至る)し移転しました」と当時榎本と結婚した妻(バレエでの芸名:南麻美)が経緯を説明した。

 大山道場はそれまで目白の自宅庭、また近所の空き地などの野天道場として稽古をしてきたが、榎本の紹介で榎本バレエ跡を借受け、大山道場として利用することになった。

野天道場時代は目白の大山氏の自宅庭か山手線と西武池袋線の交差する空き地で稽古したと伝えられる。この大きな敷地は1960年の住宅地図では石炭置き場と表記されている。この空中写真も豊島区立郷土資料館のタッチパネルで見ることができる。(国土地理院 昭和38年撮影)

 この時代、道場からほど近い池袋駅西口周辺は昭和38年ごろまでヤミ市で賑わった。

 物騒な時代でもあり、強くなろうと道場の門を叩くものが多かった。

 昭和31年に入門した大山道場生え抜きの初代師範代を務めた渡邊一久氏は「父親がヤミ市でオリンピックという居酒屋を営んでいて私も手伝っていた。ヤクザが店に来て高い酒を飲んでよく踏み倒すもんだから、強くなって撃退してやろうと思い、大山道場に兄妹で入門した。数ヶ月後、彼らに対して金払えと。喧嘩になったけど勝つことができた。そのうち僕が牛殺しの大山の道場生だと知れ渡り踏み倒しは減った。大山道場生というだけで抑止力はあった。黒崎健時先輩も大山館長に渡邊の店を見るように言われてよく店にきてくれましたね。大山館長も一人で来てくれました」と語る。

ヤミ市のジオラマ(豊島区郷土資料館)

 池袋からヤミ市が消えた昭和39年10月には、世間は新幹線が開通し、東京オリンピック開幕と賑わう中、大山道場のあった場所の近くに極真会館本部道場ビルがオープン、大山道場は極真会館として新たな時代に突入した。

 現在、大山道場のかつての建物自体はなくなっており建物の前部分は道路に、後ろの道場部分には大型マンションが建っている。

大山道場の場所と現在の位置を重ね合わせる。道場の場所は道になっていないことが分かる(国土地理院所有)

 豊島区立郷土資料館では池袋のヤミ市の写真、ジオラマがあり、当時の雰囲気を感じ取ることができる。

 また本日(7月10日)より8月30日まで「戦争を考える夏 2015」と題し、豊島区の戦中戦後やスガモプリズンの資料を揃える。
 さらに9月12日から22日まで「ヤミ市から自由文化都市へ」と題し戦後の池袋のイベントを豊島区各所で開催。

現在の大山道場跡地。当時の建物の前部分は道路になったが、奥にあった道場跡地はマンションになった。(googlemap)

 豊島区立郷土資料館はじめ、立教学院展示館、東京芸術劇場、旧江戸川乱歩邸などで写真・映像・チラシ・ポスター・本・雑誌などを展示する。

   また9月18日から20日まで池袋西口公園にて「池袋西口ホッピー祭り」をはじめ、各種のイベントが開催される。ヤミ市をイメージした屋台を設置し、ヤミ市から広まったホッピーを飲んで楽しんでもらおうという趣旨。野外ステージでは音楽演奏なども予定している。
(吉倉拓児) 

関連リンク 
イベント 戦後池袋 ヤミ市から自由文化都市へ /9月18〜20日 池袋西口ホッピー祭り
豊島区郷土資料館 
取材の裏側 伝説の大山道場を訪ねる 

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