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【コラム】フランク・シャムロック、18年越しの桜庭戦への想い

元WOWOWのUFC中継解説者としても知られる格闘技ジャーナリストの稲垣收(いながき・しゅう)氏が、世界を舞台に格闘技のディープな情報を発信する世界格闘技最前線。

 元UFCライトヘビー級王者フランク・シャムロック(44=アメリカ)が、負傷欠場したダン・ヘンダーソンの代打として桜庭和志(48=フリー)と対決する。10月15日(日)に福岡で開催の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 男子バンタム級トーナメント&女子トーナメント1st ROUND -秋の陣-」でのグラップリング・マッチでだ。(文:稲垣 收)

■錯綜する因縁の数々

UFCベルトを肩にかけるフランク。10年前、米サンノゼにあったフランクのジムのオフィスで

 この対戦は20世紀末から何度もファンの間で話題に上がり、両者ともに対戦を希望しながらも実現に至らなかった、まさに“幻のカード”。

 フランクは義兄ケン・シャムロックの元で修業してパンクラスに出場し、1996年に鈴木みのるを破ってパンクラス暫定王者となり、翌97年12月に行われたUFC初の日本大会『UFC Japan』(UFC15.5)では、バルセロナ五輪のレスリング金メダリスト、ケヴィン・ジャクソンをわずか16秒で腕ひしぎ十字固めに切って落とし、UFCライトヘビー級王者(*1)となったのである。

*1:当時の名称は「ミドル級」

 興味深いのは、この『UFC Japan』には桜庭も参戦していたことだ。これが桜庭にとって最初で最後のUFC参戦だった。桜庭はこの大会に、当時所属していたプロレス団体『キングダム』の先輩・金原弘光の代打として出場し、黒帯柔術家マーカス・“コナン”・シウベイラと対戦した。コナンは、1950年代にブラジルで「ヴァーリ・トゥード」(何でもあり)の大会で活躍した“グレイシー一族の重鎮”カーウソン・グレイシーの弟子である。

 このコナンに桜庭は腕十字で一本勝ち。試合後のマイクで「プロレスラーは本当は強いんです」と発言し、それまで“グレイシー柔術”の使い手に日本人レスラーや格闘家が次々にやられて絶望していた日本のファンを狂喜させ、“無名の若手レスラー”から一気に“プロレス界の救世主”と呼ばれるようになったのだった。

(ちなみに、この『UFC Japan』にはフランクの盟友でUFCヘビー級王者だったモーリス・スミスも出場しており、ランディー・クートゥアに1-2のスプリット判定で敗れて王座陥落した。モーリスは今夏、桜庭とともに『UFC名誉の殿堂』入りした。そして、そのモーリスが今回の試合でフランクのセコンドにつく)

フランクはついに実現となる桜庭戦に向けて、Facebookのトップ写真を変更した

 一方フランクは、この『UFC Japan』での戴冠後、ロシアの強豪イゴール・ジノヴィエフを投げによりわずか22秒で失神させ、またも秒殺で初防衛に成功した。その後、UFCのライバル団体だったエクストリームFC王者ジョン・ローバーやティト・オーティズにも勝利して通算4度の防衛を果たし、アメリカ総合格闘界の“レジェンド”と呼ばれた。

(このティト戦直後にフランクは王座を返上してUFCを離脱したが、空位となった王座をティトとヴァンダレイ・シウバが争い、ティトがヴァンダレイを破って新王者となった。ティトに敗れたヴァンダレイはその後、PRIDEで大活躍し、桜庭にも3度KO勝ちし“PRIDEミドル級絶対王者”と呼ばれるようになる。“因縁”が錯綜している)

10年間に訪れたフランクの経営するジムの壁には、エンセン井上を破った試合の写真を表紙にした雑誌の写真が飾ってあった

 フランクはティト戦の5ヵ月前の99年4月、リングスに参戦しており、「グローブなしで頭部への打撃は掌底のみ、ロープ・エスケープあり」という当時のリングスルールで田村潔司と対戦している。田村はUWFインターナショナルで桜庭の先輩にあたり、当時はリングスに移籍していた。この試合は20分間戦い抜いた末にドローとなったが、フランクは試合開始後30秒すぎに、組みついていった田村に一瞬で腕ひしぎ十字固めを極め、田村からロープ・エスケープを奪った。UFCのようにエスケープなしルールなら田村に秒殺一本勝ちしていた、ということだ。

(ちなみに、桜庭はこの9年後の大晦日に行われた『Dynamite!! 勇気のチカラ2008』で田村と対戦し、判定負けを喫している。ここでも“因縁”が錯綜している)

 桜庭は『UFC Japan』の後PRIDEに参戦し、快進撃を続けた。後のUFCウェルター級王者カーロス・ニュートンに一本勝ちし、後のUFCライトヘビー級王者ヴィトー・ベウフォートにも判定勝利。99年11月にはホイラー・グレイシーも破り、2000年5月のPRIDE GPでは、初期UFCの無差別級トーナメントを3度制したホイス・グレイシーと激突。90分に及ぶ死闘の末にTKO勝利して“グレイシー・ハンター”の称号を与えられたのだ。

筆者が書いたフランクのインタビュー記事。ゴング格闘技2000年3月増刊号より

 そのホイス戦の10ヵ月前、99年7月のPRIDE.6を観戦に訪れていたフランクは、桜庭がエベンゼール・フォンテス・ブラガに一本勝ちした直後、桜庭に挑戦を表明した。桜庭もこれを快諾し、両者対戦の機運は一気に高まった。 ・・・

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