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格闘技名勝負列伝 第2回 吉鷹弘vsサタンファー・ギャットチャンスィン

 

ソンチャイ・プロモーション
「スッグ・ワンソンチャイ」
1997年2月15日(土・現地時間)タイ・ルンピニースタジアム

▼第8試合 3分5R
○吉鷹 弘(シュートボクシング大阪ジム)
KO 3R
●サタンファー・ギャットチャンスィン(タイ)

吉鷹が唯一海外で行った一戦!ルンピニースタジアムへ乗り込む

 実戦体験に基づく独特な理論と幅広い知識で、eFightの連載コラム『打撃研究室』を始めとして格闘技雑誌などでも打撃技術の解説者を務める吉鷹弘。

 現役時代はシュートボクシングのエースとして、ラモン・デッカー、マンソン・ギブソン、ライアン・シムソン、イワン・ヒポリットなど当時の中量級世界トップファイターたちと多数対戦。1995年に開催された第1回S-cup世界トーナメントでは優勝し、初代チャンピオンの座に就いた。

 その吉鷹が、ムエタイの本場タイへ渡り、ムエタイの二大殿堂のひとつルンピニースタジアムで試合をしたことが1度だけあった。本当はもっと海外で試合をやりたかったが、すでに就職していたためまとまった休みが取れず、吉鷹が海外で試合をしたのはこの1度だけである。

■午前0時40分過ぎ、お互いの人生を懸けた戦いのゴングは鳴った

 試合が組まれたのは、当時タイのナンバーワン・プロモーターとしてその名を海外にも轟かせていたソンチャイ氏が主催する「スッグ・ワンソンチャイ」という大会だ。しかも、ルンピニーの土曜日第二部の興行は、ルンピニーの中でも最高峰の花形興行(当時=現在は違う)。

 実力が低く評価されている日本人選手、それも初出場の選手がこの大会に出られるのは異例のことだった。しかし、当日はビッグマッチが3試合も行われた“特別な日”。吉鷹の試合は最終試合となる第8試合に組まれた(ムエタイの興行はメインイベントが6~7試合目に行われる)。

 午前0時40分、メインイベントのタイトルマッチが終わり、観客が半数近くどっと引き上げる中、その人波をかきわけて吉鷹はリングに向かった。対戦相手のサタンファーは地方の試合で17勝3敗の戦績をあげ、ルンピニーに出場するのはこれが初めて。高校を卒業したばかりで、これからムエタイに専念していこうという選手だった。ソンチャイ氏の目に止まればムエタイでスターになれるかもしれない。しかし、日本人に負けるようなことがあればその道は閉ざされる。吉鷹はこの試合に「人生を懸ける」と言っていたが、サタンファーにとっても人生の懸かった一戦だった。

■練りに練った打倒ムエタイの秘策・戦法とは?

 試合開始早々、吉鷹は左ミドルキックを蹴ってくるサタンファーを足払いで2度転倒させた。これは相手のリズムを崩すための秘策。ムエタイでは足払いは禁止されているため、ローキックに見せかけてタイミングよく決める必要があったが、吉鷹は「上手くやらないと減点を取られるらしいけれど、僕はやりますよ」と戦前に予告していた。

 さらに、サタンファーはまだ経験が浅いため、吉鷹は1Rと2Rは相手の様子を見るムエタイスタイルではなく、最初から一気に攻めるという戦法を取った。この作戦が完全に功を奏した。どんどん前進してパンチで攻め、サタンファーのヒザ蹴りにもひるまず接近し、ヒジの連打を見舞う。サタンファーは明らかに動揺していた。

 2R終盤には左右のフック、ストレートの乱れ打ちでサタンファーをコーナーへ追い詰め、連打でスタンディングダウンを奪う。続く右アッパーはゴングの後にヒット、ダウンにはならなかったがサタンファーは力なく崩れ落ちた。レフェリーが止める間もなかったこの一撃こそ、吉鷹の気持ちが前へ出ていることを表す一発であった。

 そして3Rも吉鷹は攻めた。右アッパーから再びラッシュをかけ、相手にムエタイのリズムを取らせない。ヒジ打ち、アッパー、フックを叩き込み、最後は場内が騒然となる中、右フックでサタンファーの精神力を断ち切った。

 練りに練った作戦、そして何が何でも勝つという強い信念でつかみ取った勝利。吉鷹のこの一戦に懸けた気持ちが、戦い方から伝わってきた名勝負だった。

写真提供/ゴング格闘技

 

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▼第8試合 3分5R
吉鷹 弘(シュートボクシング大阪ジム)
KO 3R
サタンファー・ギャットチャンスィン(タイ)

 

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