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 8 月22日(日)東京・両国国技館で開催されるワールドビクトリーロード『SRC 14』のSRCウェルター級グランプリシリーズ2010一回戦でニック・トンプソンと対戦する奥野”轟天”泰舗(CAVE)。これまで所属していた GUTSMAN・修斗道場を離れ、自ら代表が務める総合格闘技道場CAVE道場を今年4月にオープン。一般会員も徐々に増え、道場設立して以来初の試合を 迎えることとなった。世界ウェルター級トップクラスの強豪をどう攻略するのか。(2010年8月21日UP)

PROFILE
奥野”轟天”泰舗(おくの”ごうてん”たいすけ)
1977年3月1日、大阪府和泉市出身
177cm・76.0kg
2004年9月20日、第11回全日本アマチュア修斗選手権・ライトヘビー級で
優勝
2005年7月14日、プロ修斗デビュー戦でTKO勝ち
2006年12月2日、2006年ミドル級新人王決定トーナメント決勝で小西”獅子”優樹に判定負けで準優勝
2008年3月16日、オーストラリアでのプロ修斗公式戦でザビアー・ルーカスと対戦し、判定ドロー
2009年5月、GUTSMAN・修斗道場を離れ、フリーに
2009年6月30日、DEEP初参戦となったDEEP 42 IMPACTで岩瀬茂俊と対戦し判定負け
2010年2月28日、DEEP 46 IMPACTで長谷川秀彦からTKO勝ち

戦績:15戦9勝4敗

■自衛隊での辛いエピソード。何と!8時間も遠泳させられ……

――今年4月に総合格闘技道場CAVE道場(東京都墨田区向島3-33-15、
ホームページURL:http://cave-gym.com/)を立ち上げられて、いいタイミングで大舞台での試合が決まりました。

「そうですね。凄く楽しみです」

――戦極、そしてSRCでの試合は見ていましたか?

「廣田(瑞人)が戦極のリングで試合をしていたので、その時には見てました。修斗でやっていたときは、廣田のセコンドによくついていました。昨年の年末のDynamite!!の時にも付きましたね」

――大晦日の時には、廣田選手は青木真也選手と対戦し敗れてしまいました。廣田選手が腕を折られた後の青木選手の行動が波紋を呼びましたが、あの時はどういう気持ちで見ていましたか?

「僕はセコンドという立場なので、一緒 に闘っている気持ちでいましたよ。どこかの記事で、自分が(青木の行動を見て)ぶち切れて、誰かが止めたというような記事を見ましたが、そんなことはないですよ。やはりセコンドは選手の安全面を一番に考えています。そういった面では、廣田をどう病院に連れていこうかということを考えていました。あとは、廣 田自身が決着をつけることなので周りがどうこういうのはちょっと違うかなと思います」

――なるほど。それでは、奥野選手のインタビューはGBRで初登場になるので、パーソナルなことを聞いていきたいと思います。16歳の時に自衛隊に入隊されたんですよね。

「物心つく前から、強くなりたかったん です。小さいときはジャッキー・チェンが好きでした。強さを求めることに何の価値があるのかはわからなかったんですけど、強さに憧れていましたね。自衛隊の募集広告に”リアル男塾生募集”みたいなことが書かれていました。自衛隊には、陸・海・空と3つあって、その中でも海上自衛隊が厳しく、その中でも空手 部が一番危ないと聞いていました。それならそこに入った方がいいなと思いました」

――元々、自分から険しい道を選ぶ方なんですか?

「一度しかない人生なんでそういうものを体験してみたいなと。修行して強くなることが好きでした」

――自衛隊の頃に辛かったエピソードを教えて下さい。

「遠泳は朝8時から夕方4まで足のつかないところを延々と泳ぎ続け、男塾みたいなことをやっていましたよ。自分たちが泳いでいる中を、『ついてこい』という感じで教官が ・・・

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