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山本“KID”徳郁を世に送り出した元K-1プロデューサー谷川貞治氏、思い出を綴る

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2018/09/20(木)UP

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試合レポートと同時にアップする速報動画では、KOシーンはスーパースロー再生。

HERO’Sの記者会見でKIDと同席した谷川氏(右)

 9月18日(火)に41歳で死去した山本”KID”徳郁に、元K-1イベントプロデューサーの谷川貞治氏が自身のSNSにKIDとの思い出を綴った。

 KIDの名が格闘技マニア以外の一般層にまで広まったのは、2004年2月の『K-1 WORLD MAX 2004~日本代表決定トーナメント~』出場がきっかけだった。それまでは総合格闘技『修斗』で活躍していたKIDが立ち技格闘技に初挑戦し、試合前に上映される煽り映像で「俺は格闘技の神の子」との名言が飛び出した。試合では前年のトーナメントで魔裟斗を相手に善戦し、魔裟斗もこのトーナメントの優勝候補にあげていた村浜武洋を1回戦でKO、衝撃デビューを果たし、一躍人気者となった。

HERO’Sのチャンピオンベルトを持つ若き日のKID

 谷川氏は「午後からずっとマスコミからKIDについての問い合わせが。思い出すと00年代、本当に色々なことがあった。格闘家の死の中でも、アンディ・フグと山本KIDは関わりが大きかった分、私にとっては特別な感情が。二人とも伝説になった。心よりご冥福をお祈りします」と追悼の言葉。

 続けて「初めてKIDの試合を見たのは、全く他の選手をチェックするつもりで見た修斗の試合。まるで『獣』に見えた。ヒョウとか、オオカミみたいな。すぐにエンセン井上に連絡し、K-1に貸してほしいとオファー。それからKIDとの付き合いが始まった」と、KIDのK-1参戦秘話を明かす。

HERO’Sの試合でビビアーノ・フェルナンデス(右)にパンチを見舞うKID

 さらに「皆さんは知らない世代だと思うけど、僕の中では山本KID君は『オレは鉄平』みたいな性格した人だった。自由気ままに、ヒモを付けていないと飛んでいってしまうような。僕がプロデューサーになった頃は、ヘビー級の興行しか成り立たなかったけど、魔裟斗とKIDがいて、中量級の時代が作れた」と、魔裟斗とKIDの功績を称える。

 そして、人気が大爆発したKIDが本来の「総合格闘技をやりたい」と希望したため、総合格闘技イベントの『HERO’S』(2005~2007年)が誕生。2006年5月の宮田和幸との試合では、伝説となった“4秒”での飛びヒザ蹴りによるKO試合を生んだ。

HERO’Sの試合でKIDの代名詞ともいえるパウンドを、ビビアーノ・フェルナンデスに打ち込む

 谷川氏は「HERO’Sはもともと山本KID君がいたから、始めたようなもの。今、見ても思うのだが、あの頃のKID君は全身発光体に見えた。身体から本当に光が出ているような。ああいうオーラの出る選手はなかなか見たことがない。かっこよかったな」と振り返っている。

 また、KIDが亡くなる前日の17日に開催された、プロデュースしている異種格闘技イベント『巌流島』にも触れ、「考えてみれば、先日の巌流島の決勝戦は今や山本KIDのクレイジービー所属となった西浦ウィッキーvs須藤元気の弟子で拓大レスリング部出身の奥田啓介となった。大晦日にやったHERO’S決勝のKID vs 元気。それが形を変えて、亡くなる前に実現した。運命的なものを感じる」とも綴った。

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・山本”KID”徳郁に小比類巻貴之が追悼文「KIDさん、本当にカッコよかった」

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