2012年8月度MVP 寺戸伸近
毎月GBRが取材した大会の中で、最優秀選手を決める月間MVP。2012年8月のMVPは、 8月12日(日)東京・後楽園ホールで行われた『Krush.21』でアンディ・ハウソン(イギリス)に大逆転KO勝ちし、場内を熱狂させた寺戸伸近に決 定!(2012年9月6日UP)
PROFILE |
選考理由
1、「まれに見る大逆転KO勝ちの名勝負で場内を熱狂させた」
2、「絶体絶命に追い込まれても諦めない姿勢でファンを感動させた」
3、「ISKA世界タイトルの初防衛に成功」
選考委員
Fight&Life、ゴング格闘技、YAMATOの各格闘技雑誌の編集長とGBRの全スタッフ
受賞された寺戸選手には、ゴールドジムより以下の賞品(プロカルシウム 300粒 1個、マルチビタミン&ミネラル 1個、アルティメットリカバリー ブラックマカ&テストフェン+α 240粒 1個)と、GBRより記念の盾が贈られます。
贈呈:ゴールドジム
MVP記念インタビュー
「戦うというのは”勇気”が大事なんだと実感した」
■1度目のダウンを奪われた後はほぼ無意識だった
格闘技の聖地・後楽園ホールが熱狂のるつぼと化した。2度のダウンを奪われ、絶体絶命の大ピンチに追い込まれた寺戸が、立て続けに3度のダウンを奪い返し ての大逆転KO勝ちを飾ったのだ。興奮した観客は両手を挙げて一斉に立ち上がり、場内はほぼ総立ち状態。割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「途 中の記憶がないんです。1Rで右ローキックが効いていたのは分かっていたんですが、ハウソン選手の圧力が凄かったし、パンチも蹴りも硬かったので”これは チャンスの時に行かないと、もしかしたら逆転される可能性もあるな”と思いました。それでチャンスがあったら倒しに行こうと決めて、2Rで相手のローにパ ンチを合わせたら相手がフラッとしたので”行こう”と思って行ったら逆に倒されてしまいました」
ハウソンをニュートラルコーナーへ追い詰め、寺戸はパンチを連打。右フックでハウソンが吹っ飛び、もはやKOは時間の問題かと思われた。ところが、再度寺戸が右フックを繰り出そうとしたところでハウソンの右フックがヒットし、ダウンしたのは寺戸の方だった。
「1 度目のダウンを奪われる寸前に”よし、(相手が)倒れる”と思ったのを覚えています。でも、気がついたら自分が倒れていた。うわっと思いましたね。そこか らはセコンドの声も聞こえなくて、2度目のダウンは自分の腰がガクッと落ちたのは分かったんですが、そこでスタンディングダウンを取られたのは全く覚えて いないんです。だから、もう1度倒されたらKO負けになるとは理解していませんでした」
そこから寺戸の猛反撃が始まる。クリンチやガードをして自分のダメージの回復を待つのではなく、強気に打ち合いに行った。
「1度目のダウンを奪われていたのは分かっていたので、行かないと負けてしまうというのが頭にあって前へ出て行ったという 感じです。実は、次の記憶は自分が2度目のダウンを奪った時で、1度目のダウンを奪い返したのは覚えていないんですよ。試合が終わった後でセコンドに左 フックだったと言われて初めて知りました。2度目のダウンを奪った時も、記憶にあるのは相手が倒れていて場内の電光掲示板を見て残り時間を確認したことだ けなんです」
ダウンを奪われた後、寺戸はほぼ無意識状態で戦っていたことになる。1度目のダウンを奪い返した左フック、2度目の右フックも寺戸は無意識のうちに放っていたのだ。
「あとで映像を見て分かったことだらけです。自分がダウンを奪い返して、場内が盛り上がっていたのは何となく覚えているんですが、あんなに盛り上がっていたとは知りませんでした。パンチは無意識で、自然な流れで出たものだと思います。
パンチは尾下塾(池袋にある格闘技ジム。尾下正伸会長は元プロボクサーで名門ボクシングジムでチーフトレーナーを務めた 人物)で教わっていて、映像を見たら練習した成果が1個も出ていなかったんですが(笑)。でも無意識でも身体が動いたのは、そこで教わっていたことが大き かったと思います」
■奇跡の大逆転KO劇を生み出した要因は……
まさかの展開に場内が大熱狂に包まれる中、お互いにあと1度のダウンでKO負けとなる両者はまたも打ち合いを展開する。そして、寺戸がハウソンの右ストレートにカウンターの右ストレートを合わせ、激闘に終止符を打った。
「3度目のダウンはよく覚えています。打ち合いになった時、ここで右を出したら当たるというのが見えて、そのタイミングで出したら当たりました」
奇跡の逆転劇を生み出せた要因は何か、寺戸に聞いてみた。
「試合中に意識がなくなっても戦っていたという話はよく聞きますが、自分は今まで一度もそういうことがなかったんです。練 習で身体に染み付いた技術が自然に出たというのもありますが、一番は勝ちたいという気持ちが強かったからだと思います。世界タイトルの防衛戦なので、負け たらタイトルを失うわけじゃないですか。失いたくないし、応援してくれる人たちがたくさんいるので、絶対に勝って期待に応えたいと思っていたからだと思い ます。歴史に残りますかね? 自分にそんな試合が出来るなんて思っていなかったので嬉しいですし、戦うというのは”勇気”が大事なんだと実感しています」
試合後、寺戸は頭がボーッとしていたと言うが、キックボクサー人生をスタートさせた広島でKrushの大会を実現させて欲しいと訴えた。
「生まれ故郷の島根県で市長さんが発起人になって後援会を作っていただいたんです。本当は島根で試合をやりたいんですが、 交通のアクセスが悪いので広島くらいでやって欲しい(笑)。地元の人たちが東京まで来ることは難しいですからね。同門の山本優弥も広島出身なので、2人で 広島で試合が出来たらいいなって。それが今の自分の夢です」
地方在住、常設ジムはなく仲間たちと公共施設を借りて練習しているというハンディを背負いながらも、2005年頃から常にトップクラスで活躍してきた寺戸。その努力の成果が、見事に形となって現れた名勝負だった。
関連リンク
・ゴールドジム Web site
・試合レポート「寺戸がダウン合戦の末に大逆転KO勝ち!梶原は王座転落」
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします
TwitterでeFight(イーファイト)格闘技情報をフォローしよう!
Follow @efight_twitインスタグラムでeFight(イーファイト)格闘技情報をフォローしよう!