【追悼:米倉健司会長】車窓から見えたヨネクラジム最後の日、そして解体へ
ボクシングの元ヨネクラジム会長の米倉健司氏が20日に死去した。88歳だった。同ジム出身の大橋秀行氏(大橋ジム会長)が21日に明らかにした。
米倉氏は17年に83歳という高齢から病気で入院するなど、指導がままならなくなり目白にある名門ヨネクラジムを同年8月31日に閉鎖。54年の歴史に幕を降ろした。山手線から見えたあのボクシングジムの看板が懐かしい。
17年8月31日のジム最終日、特別に何かが行われるでもなく、通常通りに練習スケジュールが進んだ。18時半開始の最終練習を取材したが、そこに米倉会長の姿はなかった。
半世紀以上経過したこのジム。黒光りした木の床にはこれまでの栄光の名選手たちの汗が染み込んでいる。柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志と5人の世界王者をはじめ、東洋太平洋王者、日本王者を含めると37人の王者を輩出してきた。
練習に参加しているプロ選手たちも全て移籍先が決まっており、明日から違うジム所属となるが、ただ黙々と、普段と同じように全力で練習に打ち込み続けていた。
20時に練習が終わり、特別なセレモニーがあるわけでもなく、「お疲れ様でした!」と挨拶を交わし、一人、また一人とジムを出る。普段通り明かりが消され静かに幕を閉じた。ボクサーを育てるためのジムは最後の日までやることは一貫していた。ジムはボクサーを作る場所。それ以外はやらない。実にシンプルだ。
後日、ジムを訪れると解体のための足場が組まれていた。2階の米倉荘の選手たちも引っ越しを終えたようだ。
ヨネクラジムは米倉会長が日本フライ級王座、東洋太平洋バンタム級王座を獲得するなど活躍も1962年(昭和37年)に28歳で現役選手を引退。翌年の63年(昭和38年)に都内にヨネクラボクシングジムを開設し、67年(昭和42年)に目白のこの地に移転した。
敷地面積が約100坪、1962年(昭和33年)築の木造2階建ての農具会社兼倉庫の内部を1階をジムに2階をアパートに改装。多くの王者を出し名門ジムにまでなったが、惜しまれつつも54年の歴史に幕を閉じた。現在は3階建てのアパートに建て替えられている。
(取材:写真 吉倉拓児)
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