【訃報】初代K-1王者シカティック逝く「彼の優勝からK-1は始まった」=石井館長
1993年に既に38歳ながら、1回戦でチャンプア・ゲッソンリット、準決勝で佐竹雅昭、決勝ではアーネスト・ホーストをそれぞれKOで破り、初代K-1王者となったブランコ・シカティック(65=クロアチア)が3月22日(日)に肺血栓症の悪化により亡くなった。所属していたドージョーチャクリキ・ジャパンが発表した。
ブランコ氏は2018年に肺血栓症で入院、ICU治療を行って以来、パーキンソン病等の併発もあり、ここ2年程は家族の支えのもとクロアチア・ソリンの自宅での闘病生活を送っていた。
ドージョーチャクリキ・ジャパン、ノブ ハヤシ館長は
「僕が白血病から復活したとき、優しい笑顔で喜んでくれたことを思い出します。また大好きなワインを飲んで、陽気に酔っ払った姿も最高でした。ブランコさん、あなたが居なくなってとても寂しいです。出来ればもう一度会いたかった。偉大なるK-1チャンピオン、安らかにお眠りください」とコメント。
K-1創始者で正道会館の石井和義館長は「93第1回K-1グランプリ王者、無名のダークホースの優勝から僕達のK-1はスタートした。無口な本物のサムライだった、早過ぎる!合掌 安らかに」とSNSで故人を偲んだ。
K-1は1993年に旗揚げし、同年4月の第1回大会で無差別級の『K-1 GRAND PRIX ’93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催されブランコ氏が優勝した。
ブランコ氏は1954年10月3日クロアチア生まれ。元軍人でクロアチア紛争に参加。指導者としてはPRIDE、RIZIN、K-1でも王者となったミルコ・クロコップの師匠でもある。
引退後はクロアチアで警備会社「タイガー・シカティック」を設立し、クロアチアの要人警護の会社を経営していた。
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