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第7回「猛者たちの凄すぎるエピソード vol.3」

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 極真会館の前身である大山道場。まだ全日本大会が開催される前は、道場で日々行われる組手が唯一の試合だった(街中で勝手に“試合”をやってしまう人も多かったらしいが)。みんな組手が好きだったようで、茶帯以上になると基本の時間はすっ飛ばし、組手が始まる頃に道場にやって来る人も多かったという。

 大山道場での組手は年代によって変化していくのだが、基本的には顔面突きあり(拳にはタオルを巻く)、投げあり、関節技あり、つかみあり、ヒジありとほぼ何でもありだったというのが定説。一方が壁板まで追い詰めたら道場の中央に戻るとか、“まいった”を言うまで攻撃は続けるとか、ケース・バイ・ケースで暗黙のルールがあったらしい。

 ルールがないというのは様々なスタイルを生み出す。師範代を務めていた黒崎健時は、相手が蹴ってきたらその蹴り足を殴ったり、蹴り足をキャッチして道場の壁を目がけてぶん投げたりしていたという。柔道経験者はつかんで投げるのは当たり前で、道衣を使って絞め落とすこともよくあったそうだ。

 話を聞いていて面白かったのは、現在はキックボクシング藤ジムの会長を務める加藤重夫。大沢昇(本名・藤平昭雄)と並ぶ小兵だったため、大きい相手と戦うために様々な工夫をしたのだという。例えば、ヒジで相手の突きや蹴りを打ち落としたり、自ら回転してのパンチやヒジ(つまり現在で言うバックハンドブローやバックスピンエルボー)を使ったと教えてくれた。

 さらには裏技で、相手の頭を抱えるふりをして髪の毛をつかんだり(手前から向こう側へ円を描くようにしてつかむと決まりやすい)、わざと鼻に軽く当てる(経験したことがある人は多いと思うけれど、涙が出てくる)、五本の指を相手の目の前に差し出して目潰しが来ると錯覚させておいて殴る……といったことをやる人もいた。

 その中でも大山泰彦(第3回全日本大会3位)は別格だったらしく、相手の攻撃をきれいにサバいて崩し、床に倒してまいったさせる華麗な組手をしていたそうだ。あの人は天才だった、とは極真OBの誰もが口を揃えて言うことなので、本当に綺麗な組手をしていたのだろう。大山倍達総裁も、極真史上に残る空手の天才として、春山一郎と共に大山泰彦の名前をあげている。

 この大山道場時代でハッキリしないのは下段廻し蹴り(ローキック)がいつ誕生したのか、ということ。1964年に ・・・

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