格闘技名勝負列伝 第6回 チャンプア・ゲッソンリットvs鈴木秀男
「世界ムエタイ連盟日本大会」
1990年5月18日 東京・後楽園ホール
▼世界ムエタイ連盟ジュニア・ライトヘビー級タイトルマッチ 3分5R
○チャンプア・ゲッソンリット(タイ/王者)
KO 2R1分11秒 ※左ローキック
●鈴木秀男(花澤ジム/MA日本ミドル級王者/挑戦者)
■日本のファンに最も愛されたムエタイ戦士
これまで日本のリングで試合を行ったムエタイ戦士は数多いが、日本のファンに最も愛されたのは“超象”の異名を持つチャンプアだろう。
初来日は1989年11月。東京ドームで開催されたプロレス団体UWFの『U-COSMOS』。チャンプアはプロレスラーの安生洋二と異種格闘技戦で対戦し、注目を浴びた。
その後、“欧州の帝王”として日本で人気を博したロブ・カーマンと2勝1敗の戦績を残し、全日本キックボクシング連盟やMA日本キックボクシング連盟のリングでも活躍。
その人気を不動のものとしたのは、1993年4月に第1回大会が開催された『K-1』への出場だった。チャンプアは軽量級が多いムエタイの中では身長175cm、体重70kg前後と大柄で、欧米の選手と体格的につり合う稀有な存在。そのため、本来はウェルター~ミドル級(66.68~72.57kg)の体格ながら、90kgを超える選手とも対戦しなければならなかった。
しかし、チャンプアは体格差をものともせず、得意の左ミドルキックを武器に重量級ファイターに果敢に立ち向かい、その勇気にファンは惜しみない声援と拍手を送った。
当時、グッズとして売られていたチャンプアのトレードマークである象がプリントされたトランクスは、キックボクシングのジムで多くの人たちに愛用されたほどの人気だった。
■日本キック界重量級エースを粉砕した恐るべき蹴りの威力
チャンプアが日本で初めてムエタイ(キックボクシング)の試合を行ったのは、初来日の安生戦から半年後、後楽園ホールで開催された『世界ムエタイ連盟』の日本大会だった。この世界ムエタイ連盟(現在は消滅)はムエタイの国際的普及を目的に旗揚げされたもので、会長とプロモーターはムエタイ界の超大物が務め、タイ国外で開催される大会はタイに衛星生中継された。日本大会はパリ、アムステルダムに続いての第3回大会として行われた。
対戦相手の鈴木秀男はMA日本ミドル級王者で、極真空手出身のキックボクサー竹山晴友との“竜虎対決”を制して、日本重量級のトップに君臨していた選手。竹山戦後は試合から遠ざかり、チャンプア戦が約1年半ぶりの復帰戦となった。
当時の鈴木のネームバリューはキック界において絶大であり、チャンプアとの試合は注目度が高かった。ところが、試合は一方的なものとなってしまった。1Rに左ミドルでダウンを奪ったチャンプアは、2Rに左ロー連打で続けざまに鈴木をダウンさせ、圧倒的な勝利を収めたのである。
鈴木の敗因はブランクと調整不足、と当時は考えられた。確かにそれもあっただろうが、その後のチャンプアの活躍ぶりや強さを見た後であれば、圧勝も納得できる。チャンプアの恐ろしいほどの蹴りの威力が存分に堪能できる一戦である。
写真提供/ゴング格闘技
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▼世界ムエタイ連盟ジュニア・ライトヘビー級タイトルマッチ 3分5R
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