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第11回「伝説の天才ムエタイ戦士サーマートが初来日。天才ぶりを見せ付けたが試合後の控え室では…」

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「ムエタイの魅力、語りまくります」の第11回。今回は今までとは真逆にちょっとガッカリさせられたお話。期待通りにならないのがムエタイっていう格闘技の厄介なところでもある。

 1993年4月。この日、ゴング格闘技編集部は異様に盛り上がっていた。なぜなら、サーマート・パヤクァルンがMA日本キックボクシング連盟の後楽園ホール大会で試合を行うからだ。あのサーマートの試合が生で見られる! 盛り上がらないわけがない。

 ボクがゴン格編集部にアルバイトで入った時から、サーマートは伝説の選手だった。ムエタイ好きの当時の編集長がやたらと「サーマート、サーマート」とその名を出しており、とにかくムエタイの天才だという。

 どれくらい天才だったかと言うと、まずムエタイで4階級を制覇。得意技はヒジで、その美しさは“芸術的”とまで言われていた。ムエタイで敵がいなくなったサーマートはプロボクシングに転向し、WBC世界ジュニアフェザー級王座も獲得。あまりにもイケメンすぎて、選手引退後は歌手&タレントにもなった。

 ちなみに「サーマート」とは、タイ語でそのままズバリ“天才”という意味。本人が付けたか会長が名付けたかは知らないが、よほど才能に自信があったのだろう。よく語られるエピソードとしては眼が凄く良くて、相手の攻撃をスレスレで見切ってカウンターを叩き込む術に長けていたということ。また、左右どちらのパンチ・ヒジでも倒せるという左右均等の技を持っていた。この2つはまさしく生まれ持っての才能なので、天才と呼ぶにふさわしい。

 そのサーマートが日本で初めて試合を行った。現役からは遠ざかっていたが、試合を生で見られるのは正直嬉しかった。しかも、相手は当時上り調子にあった新妻聡。いい試合になるんじゃないか、という期待が持てた。 ・・・

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