【コラム】半身麻痺と戦う空手家・元極真王者の桑島靖寛が「伝えたい何か」
■「これからもこの大切な仲間と共に前を向いて走り続けていきます」
そんな桑島が倒れたのは2012年の12月。左脳からの出血で意識不明となり集中治療室に入った。一命はとりとめたものの、直後は夫人の名前すら思い出せない重篤な状態だった。その後、リハビリに励むが右半身の自由が利かなくなり、現在もリハビリを続けている。
「桑島師範は病気になり、変わりましたか?」と、はるみ夫人、松本薫樹に聞いてみた。ともに第一声は
「変わりません」
身体の自由が利かなくなったこと以外は何も変わらないという。
病後にはるみ夫人が大いに心配したことがあったという。それは医師より「強い男が突然このようになると、一気にふさぎこんでしまう可能性がある」と言われたことだ。夫人の心配は杞憂で、直後から桑島は杖をついて堂々と人前に出て、戻らない滑舌のまま一生懸命話しかけていたらしい。
そして、はるみ夫人はそんな夫を甘やかすことなく、日常生活においては、できる限り手を貸さず、自力でできることは自分でやらせ回復を願った。
当時の道場生の動揺はどれほどのものだったかと思う。現在、丸亀道場で指導員を務める、槙英幸が回想する。
「それは驚きました。でも、あの時はわれわれだけではなく、入門して間もない白帯の道場生も含めて、師範の回復を願い一つになりました。あの時は本当にいい道場だと思いました」
桑島が伝えたい何か。弟子たちは受け取っていたのだ。
病気をしても「何も変わらない」と答えた夫人と松本薫樹。二人ともその後、少し考えてこんな言葉が返ってきた。
「周囲の人への感謝の気持ちを言葉にするようになった」(はるみ夫人)
「自分がこのようなことを言うのはおこがましいのですが、以前は前だけを向いて走っておられましたが、今は支えてくれる人たちへの感謝の気持ちが以前より一層深くなっているように感じます」(松本薫樹)
2018年8月12日(日)に行われた第23回香川県空手道選手権大会のパンフレットに寄せた桑島の挨拶より一部を抜粋する。
「5年前脳出血で倒れ右半身が麻痺状態となってしまいました。幸い命に別状はありませんでしたが、体が不自由になり以前のように先頭を切って走ることが困難になりました。しかし、それ以前は前だけを向いておりましたが周りを見る機会が増えました。
そこで、見えてきた事は、もちろん軽視してはいなかったですが道場の皆に陰で支えてもらうことによって、私は走り続けることが出来ていたという事でした。不自由になってしまったからこそ再確認することが出来ました。そして、本当にいい仲間がいる素晴らしい道場だと思っております。これからもこの大切な仲間と共に前を向いて走り続けていきます」
香川大会は幼年の部から一般部まで207名の選手が出場した。一般部は平野真(桑島道場)が、強豪・志賀賢一(愛媛)を接線の末に右の下段廻し蹴り、右の重い下突きで攻めて優勝。桑島道場の杯を守った。
大会を支えるスタッフの素晴らしさも特筆したい。手作り感と体温を感じる桑島道場らしい大会であった。
最後にこの大会で披露された桑島の演武を動画で紹介したい。桑島は杖をついて壇上にあがり、この演武を披露した。合計30枚の板を割ったのは香川支部開設30年へのこだわりだという。
武道の世界にはいろいろな師範がいる。そんな中で、自身の等身大を見せて何かを伝えようとする稀有な存在かもしれない。
●30枚連続板割りの演武動画
本記事の主題とは異なるが脳出血について述べたい。筆者は医師でもなく、医学の知識もないが、いろいろな文献を読む限り“生活習慣病が高血圧を引き起こし、それが爆発する”という類のようだ。
生活習慣とはいうまでもなく、塩分の多い食生活、過度な飲酒、喫煙、運動不足、肥満、ストレスなどを指す。
今回、桑島はるみ夫人にその件も取材をさせていただいた。
1962年生まれの桑島は病に倒れる2012年12月まで大学生のころと変らぬ生活をしていたという。先頭に立ち滝のような汗を流し、流した分の酒を飲み、若者のような食事をとり、熱く語る。寂しくなると時間も相手の都合も考えず、すぐに電話するのは寂しがりやの桑島の愛すべき一面でもあるのだが、世間一般で言う規則正しい生活とは真逆の生活を50歳まで続けた。
今では、食生活(特に脂分、塩分)には多少の気を配り、規則正しい生活を夫人から律しられているようでもあり、健康食品を試したりしながら、試行錯誤を続けている。
はるみ夫人は「あれはね、好き放題やった末にバチが当たったんですよ。もう、思い切り悪口を書いてくださっていいですから」と電話の向こうで大笑いをした。
30年間、桑島はこんな家族に支えられ、病気をする前と変わらず空手家として稽古し、今も走り続けている。
桑島靖寛プロフィール
1962年〈昭和37年〉10月12日生まれ。日本の空手家。香川県出身。極真空手六段。
京都産業大学在学中に極真会館京都支部入門。
87年の第4回全日本ウェイト制空手道選手権大会中量級で優勝。同年に行われた第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に日本代表として出場し、5回戦まで勝ち上がるもスイス代表のアンディ・フグに敗北。
しかし、翌年の88年(昭和63年)、大山倍達の命により出身地の香川県で極真会館香川県支部を設立し、支部長に就任。 同年に開催された第20回全日本選手権で初優勝。昭和最後の全日本王者となった。
著者プロフィール
阪田 徹
1966年生まれ。兵庫県神戸市出身。大学1年生の2月に極真会館京都支部に入門し、桑島靖寛氏の後輩として共に汗を流す。1989年開催の第6回全日本ウエイト制大会軽量級4位を皮切りに毎年上位入賞を果たす。現在企業に勤めながら極真OBとして大会などの開催に協力している。
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