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第25回「打倒ムエタイに人生を捧げた黒崎健時。その様々な試行錯誤、実験の数々を振り返る」

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「ムエタイの魅力、語りまくります」の第25回。今回はムエタイの敵側、つまり打倒ムエタイを狙う側の話をしてみよう。

 打倒ムエタイのヒストリーと言えば、最初に出てくるのがムエタイを倒すために極真空手をやめ、キックボクシング目白ジムを開いた黒崎健時だ。黒崎はムエタイを倒すために大沢昇、島三雄、藤原敏男らを育て上げたわけだが、最終的に藤原が外国人(タイ人以外)初のラジャダムナンスタジアム認定ライト級チャンピオンを獲得して真の打倒ムエタイを果たすまでには、様々な試行錯誤があった。

 しかし、藤原の偉業が凄すぎて藤原の打倒ムエタイ方法論ばかりが語られており、そこに至るまでの経緯、試行錯誤の歴史などはあまり多くは語られていない。ボクも12~13年間くらい黒崎先生の担当をしていたのだが、藤原以前の打倒ムエタイ方法論についてはほとんど聞いたことがないのだ。

 そのため、限りある資料からの推測に過ぎないのだが、まず黒崎が目につけたのがローキックだった。よく言われることだが、廻し蹴り自体が黒崎を始めとする極真空手チームがムエタイと戦った時に、黒崎が持ち帰った技術だという説がある。ここはけっこうあやふやで、廻し蹴りなのかローキック単体なのかははっきりしない。

 ただ確実なのは、黒崎がムエタイと戦った時に、ローキックが非常に実戦的な技術で効果があると身をもって感じたことから、研究を重ねたということ。ある時、極真空手チームとして黒崎と一緒にムエタイと戦った大沢昇が、サンドバッグを見たこともない技で蹴っていたという ・・・

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