【トピック】所英男らがレミギウス遺族支援チャリティ
会見では所と勝村が、それぞれレミギウスとの思い出を語った。
「初めて見たのは英男がボコボコにされた試合で、恐ろしいなと。それから1年後くらいに自分もやることになって、本当に怖かったのを覚えています。自分より小さいけれどリングに対峙したら大きく見えてプレッシャーにちびりそうでした。でもリングを降りたら子供で、むじゃきにはしゃいでいるいいヤツでした」(勝村)
「レミーガがいなかったら僕らもHERO’Sや Dynamite!(いずれも格闘技イベント)に出られることはなかった。今こうして格闘技だけで生活できているのはレミギウスがきっかけで僕らも大きなイベントに出られるようになったからです。だから彼は同志であり恩人。日本が大好きだったのでよく街をブラブラして写真を撮って、それを嬉しそうに見てきたりして子供のようでした。日本に来た時に一緒に練習したこともあります」
レミギウスは復帰へ向けてトレーニングを再開していたが、もし若い頃に今のMMA(総合格闘技)に出ていたらもっと活躍できたのではないか、と両者は口を揃えた。
「それはみんな思うことです。自分はZSTで戦った時にボディへヒジを喰らって、釘で刺されたと思ったくらい痛かった。もしあれを顔にもらっていたら…と思います(当時のルールでは寝技での顔面への攻撃は一切禁止)」(所)
「スタンドでもヒジが使える選手でした。当時は階級が少なくて70kgでやっていましたから、適正体重の階級があればもっと強かったと思います」(勝村)
所は昨年の大みそか『RIZIN』で山本アーセンに勝利した後、マイクを持って「志半ばで亡くなったレミギウス、宮下さん(トモヤ=所の練習仲間で2011年大みそかに急逝)。日本にもこんなにレミギウスが好きな人たちがいることを伝えたいです。格闘技を長くやっているとやめられない理由が増えてきてやめられないです。これからもよろしくお願いします」と話した。
「試合の少し前にリトアニアに行っていた知人からレミギウスが撃たれたとのメールが来たんです。その時は嘘でしょう、間違って伝わったんだろうと思ったんですが、誰かがリトアニアのニュース番組の映像を送って来てくれて、言葉は分からなかったんですがレミギウスの写真が出ていて本当だったんだな、と。これから試合に復帰するところでやられてしまったので、レミギウスが一番悔しかったと思います。子供も産まれるというのに何でこういうことになったんだと悔しんでいると思います」
勝村は「英男はレミーガからもらったTシャツを着て入場しました。リングに上がる時には“今日の相手も怖いけれどレミギウスに比べれば怖くない”と言ってリングに上がりました」とのエピソードを明かした。
なお、今回チャリティで販売されるTシャツ・タオルは、かつてレミギウスTシャツを販売したリバーサル社製のもの。レミギウスはリバーサルからもらったバッグを気に入って、練習に行く時に愛用していたという。
●レミーガ追悼公式サイト
http://www.athleteyell.jp/project/remyga/
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