【ボクシング】村田諒太の天敵が38歳から五輪を目指す
アマチュアボクシングで国内12冠の実績を持ち、プロボクシングではOPBF東洋太平洋ミドル級王者でもあった佐藤幸治(38)が2020年東京五輪をめざし、本格的に再起した。今月から仕事を休み、古巣の帝拳ボクシングジム(東京・神楽坂)や日本大学、親交のあるワールドスポーツボクシングジム(足立区)でトレーニングをスタートさせた。
佐藤のラストファイトは2011年12月の日本・東洋太平洋ミドル級王座統一戦(後楽園ホール)。この試合で淵上誠(八王子中屋)に9回TKO負けを喫して引退していた。しかし佐藤がこのボクシング再開を「15年ぶり」と表現したのは、ボクシングのアマチュアとプロが別種目という認識からだという。
2003年11月、高校生で全日本選手権にエントリーし決勝に残った村田諒太(当時・南京都高校3年)を、自衛隊体育学校時代の佐藤はあっさりRSC(レフェリー・ストップ・コンテスト)で退けた。その後のアテネ五輪予選で敗退した佐藤は、その未練をプロのリングにぶつけるようになり、アマチュアでは村田が台頭。ロンドン五輪を目指す過程で日本史上48年ぶりのボクシング金メダルを獲得した。さらにプロボクシングでも佐藤の逃したWBA世界ミドル級王座を獲得している。村田について佐藤は「戦ったときは勝って当然の経験差があった。オリンピック以前に世界選手権で準優勝した頃から、“すごいな”って認められるようになった」と讃えた。
すでに結婚して2歳になる長男を授かっているが、AIBA(国際ボクシング協会)による年齢制限の緩和(40歳まで試合可能)とプロボクサーの五輪開放政策を意識して復帰。日大ボクシング部では、元・高校8冠王の荒本一成や全日本ライトヘビー級王者の栗田琢郎ら現役の国内トップクラスとも実戦トレーニングをこなして「まだすぐやられちゃう」と体力の衰えを吐露したが、荒本も「本調子ではないのにジャブが見えないので、強いとすぐに感じた」と印象を語った。
同ボクシング部の梅下新介監督も「年齢から考えても再起には大手を振って賛成ではないが、東京五輪は人生に1度しかないので、その執念は止められないと思った。やるからには精一杯頑張って欲しい」とバックアップも約束した。
(善理俊哉)
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