【新刊】大山倍達”70年前”のアメリカ遠征を徹底調査、プロレスラーと戦い勝利した記録も発掘
今からちょうど70年前、極真空手創始者大山倍達が空手家として大成する切っ掛けとなった1952年のアメリカ遠征にテーマをしぼった一冊『海を渡った空手 〜記録で遡る大山倍達のアメリカ遠征〜』が先月発売された。
著者は大山倍達を研究し続けるLeo氏。大山倍達関連の書籍制作ではひと声かかる業界では知られた人物だ。
Leo氏はまだ謎に包まれる1952年の大山倍達の初のアメリカ遠征を調べ上げている。大ブームとなった大山氏を主人公とした梶原一騎氏原作の劇画 『空手バカ一代』ではプロレスラーとも対戦し、百戦錬磨とも描かれたことはフィクションとも言われる。しかし、当時の現地ローカル新聞などを調べた著者は大山倍達がプロレスラーに勝利した当時の記事を発見したのだ。
【フォト】大山倍達がプロレスラーと対戦した結果を伝える新聞記事
大山はこの海外遠征で、グレート東郷と共に東郷ブラザーズの一員”マス東郷”の名で遠藤幸吉と共に全米各地を回った。
掲載されたのは、アイオワ州シーダー・ラピッズ市のローカル紙『Cedar Rapids Gazette』(1952年5月7日付)で、前日の6日、プロレスラーと柔術マッチの一本勝負で戦い、大山がプロレスラーを投げ8分53秒で勝利を手にしたという記事だった。
この柔術マッチとは、当時の広告の説明では、ジャケットを着て、絞め、関節ありのグラップリングのルールでピンフォールは無し。また拳による打撃、目突き、下半身攻撃は禁止だが、張り手や手刀、蹴りの制約はない。
大山氏の相手はジェリー・ミーカー。有名レスラーの初代NWA王者オーヴィル・ブラウンのタイトルにも挑戦しており、グラップリングに長けた選手だと言う。
大山と共に東郷と東郷ブラザーズとして行動した遠藤幸吉も大山と戦う前日の5月5日にジェリー・ミーカーと柔術マッチで対戦している。(勝敗は不明)。
大山の死後1年後に、ある雑誌のインタビューで遠藤が「大山君が戦ったところは私は見ていない、知らない」という発言が当時物議をかもした。大山は演武のみでプロレスラーとは戦っていないというのがその後、定説になっていた。共に行動してきた遠藤幸吉の試合の翌日に行われたものだが、「知らない、見ていない」としたのは忘れてしまった遠き記憶だったのか、それとも会場に行かず見ていなかったのか。
この発掘された新聞記事と分析記事だけでも大山倍達ファンにとっては読むに値するものだが、日本を発った1952年4月1日から帰国する9月16日までの行動を当時の資料から細かく知らベ上げており、貴重な資料の数々が公開されている。
東郷ブラザーズが試合をした日にちとその様子、ときには暴動ありな波乱万丈の巡業。大山が演武やテレビ出演をしたその内容、大山と対戦したとされるレスラーの分析など、当時の多くの資料もが掲載される。
なお、帰国後のインタビューで、大山氏は「空手は元々総合武道。空手と柔道の長所を統合し、プロ空手をつくるべき」と現在の総合格闘技の構想を語る部分も興味深い。
この本は、元々、著者が研究のために集めた資料が膨大なものとなり、自費出版。Amazonで印刷版とデジタルのKindle版が購入できる(amazon この本の紹介・購入ページ)。
Leo氏は「調査はまだ道半ばです。アメリカには地方紙を含め約1600の日刊紙があり、雑誌も含め、この中から当時のものを探すのは困難。今後もローカル紙に手を伸ばし調査を進めたい」としている。まだまだ大山氏の記録が眠っているかもしれない。今後の発掘調査に期待したい。
▶︎次のページは【フォト】大山倍達がプロレスラーと対戦した結果を伝える新聞記事
- 1
- 2
- ≪ 前のページへ
- 次のページへ ≫
●編集部オススメ
・【新刊】”力石徹のモデル”山崎照朝氏の評伝に、大山倍達との出会いと別れ、芦原英幸と組手エピソードも
・千葉真一の自伝が出版、大山倍達との組手、ブルース・リーのエピソードも
・【極真会館】極真空手の原点がここに!第1回全日本大会パンフなど貴重な資料が復刻
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします
TwitterでeFight(イーファイト)格闘技情報をフォローしよう!
Follow @efight_twitインスタグラムでeFight(イーファイト)格闘技情報をフォローしよう!