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 5月1日(木・現地時間)フランス・ゲレで開催された『BEST OF FIGHT』に、Krushから参戦した卜部弘嵩・功也(チームドラゴン)兄弟。兄の弘嵩はグザヴィエ・バスター(フランス)とISKA世界スーパーライト級王座決定戦で対戦し、判定勝ちで世界タイトルを奪取。弟の功也はISKA世界ライト級タイトルマッチに臨み、イェトキン・オズクル(トルコ)の挑戦を判定勝ちで退け、初防衛に成功した。日本とは勝手が違う海外で数々の苦難を兄弟で乗り切った2人に話を聞いた。

※この大会の試合レポートはこちら

PROFILE

卜部弘嵩(うらべ・ひろたか)=兄
1989年5月13日、東京都出身
身長169cm、体重60.0kg
チームドラゴン所属
※詳細は選手名鑑へ→

卜部功也(うらべ・こうや)=弟
1990年6月8日、東京都出身
身長170cm、体重60.0kg
チームドラゴン所属
※詳細は選手名鑑へ→

■第1章 突発的アクシデントで試合がなくなる

ーー当初、弘嵩選手は4月26日(土・現地時間)フランス・ヴァンヌの大会でタイトルマッチを行う予定でしたが、試合中にレフェリーが心臓発作を起こしたため、大会自体が途中で中止になるというアクシデントに見舞われましたね。

弘嵩「僕の試合まであと2試合というところでした。もうウォーミングアップを終えて、コスチュームにも着替え、あとはグローブを着けるだけの状態で気持ちは完全に戦闘モードに入っていましたね。そこで中止になったので、ビックリしました」

ーー試合直前に中止になって、どのような心境でしたか?

弘嵩「落ち込みましたね。2カ月前に試合が決まって、そこへ向けてたくさん練習しましたし、減量も大変でしたから。でも、5日後には弟の試合が控えていたのですぐに気持ちを切り替えました」

功也「僕、レフェリーが倒れた瞬間を見ていたんですよ。兄のグローブが用意されていなくて、リングサイドまで聞きに来ていて」

弘嵩「そうそう、グローブの支給がなかったんですよ。それでレフェリーに聞いたら『8オンスのグローブだったら何でもいいよ。自分が持ってきたやつを使って』と言われて」

ーーええっ!?

弘嵩「持ってきていないと言ったら、分からないから対応出来ないと言われて、弟のセコンドについて来てくれた(尾崎)圭司さんに探しに行ってもらったんです。そうしたらそこでちょうど事故が起こって」

功也「プロモーターの息子さんがいたので、その人に聞きに行った時でした。そのプロモーターの選手が試合をしていたので、終わるのを待ちながら試合を見ていたんです。そうしたらいきなりレフェリーがバタンッと倒れて。リング上で応急処置が始まって、場内も騒然となりました。

 でも、もしかしたら大会は再開されるかもしれないと思ったので、兄には伝えず『試合に集中してくれ』と言いました。50分くらい中断していて、もう深夜0時を回っていましたね。そうこうしている内に、兄の近くにいた外国人の関係者が『フィニッシュ』と言ってしまって、(兄に)バレてしまいました」

弘嵩「それを聞いて、あ~もう終わりかって思いましたね」

功也「試合が中止になったので辛かったと思いますが、人の命に関わることだからしょうがないよねと言ったら、兄も納得してくれました。もうしょうがないよね、と。お客さんも大会中止に納得していましたし」

弘嵩「その後は、試合がなくなったからもう好きなものを食べようと思って、ハンバーガーやらポテトやら甘いものをたくさん買い込み、圭司さんと2人でホテルの部屋で朝方まで食べたり飲んだりしていました。それからゆっくり寝ようと思って寝ていたんですが、昼ごろにノックの音がしたんですよ。ドアを開けたら弟が立っていて、『試合が決まったよ』と言うんです(笑)」

功也「ホテルに帰って来て10時間後くらいだったよね」

弘嵩「それで“ええっ!?”となって。もう体重が元に戻っていたので、もう1回減量しなくてはいけないとなって焦りました。そこから減量したり節制したりしていたんですが、プロモーターから『短期間で2度も減量するのは体に危険だから減量はしなくていい。すでに計量も1度パスしているから』と言われて、調整だけで済みました」

功也「中止になった大会のプロモーターと僕が出る大会のプロモーター、それと日本の関係者が話し合って、僕が出る大会に(兄の)タイトルマッチがスライドされて行われることになったんです。僕らが泊まっていたホテルにプロモーターが打ち合わせに来て、その時に『キミのお兄さんの試合もやるから』と言われました」

弘嵩「26日の大会が行われたヴァンヌから、1日の大会が行われるゲレまで車で6時間半くらいかかったり、途中には煽り映像の撮影や取材も入っていて、それで丸1日潰れてしまったり。でも、僕としては試合が決まっても、26日にピークを合わせて来たので気持ち的には一度切れてしまったのでリラックス出来ていたんです。

 ゲレに着いてからは毎朝ロードワークして普通の練習もして、スタミナが落ちないように夕方も走り込みをしていました。それで段々と仕上がっていって、試合に向けてのコンディションが整ったという感じでしたね」

功也「当初は別々の日に僕らの試合があるはずだったので、お互いがセコンドに就けるし圭司さんもいるので十分じゃないですか。でも同じ日の試合になってしまったので、急遽、武尊(Krush-58kg級王者)にもセコンドで来てもらったんです」

弘嵩「それも本当は計量当日に来るはずだったのに、飛行機が欠航になってしまって到着が大会当日になってしまったんです」 ・・・

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