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【ボクシング】五輪目指した美人ボクサー、伊藤沙月が自衛隊退官、引退へ

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2018/04/02(月)UP

3月末をもって自衛隊を退官しボクシングも引退した伊藤沙月(提供:自衛隊体育学校)

 3月末日をもって、埼玉・朝霞の自衛隊体育学校を退官するボクシング班員に、柏﨑刀翔(とうしょう=27)ともう1人、女子第1期生の2等陸曹、伊藤沙月(26)の姿があった。

 伊藤はチャーミングな容姿から「美人ボクサー」としても注目を集め、バラエティ番組やCM出演も果たしてきた。
 選手としては全日本選手権上位の常連だが、これで五輪を目指してきたボクシング自体から引退し、今後は外資系企業で営業に携わるという。  

 第二の社会人生活では、パンチの技術が必要視されることはまず無さそうとのことだが 「多くの人に出会えた分だけ、多くのことを学べたので、それがリング以外でもずっと役立つと思っています」と、精神面では脱・ボクサーにはならないと伊藤は言う。

 そこで、伊藤にこれまでのボクシングについて振り返ってもらうと
「悔しかったらやめられない。私に限らずアスリートってみんなそういう性格な気がします」 とまず、ボクシングの出会いをこう語った。

■16歳でボクシングを始め頭角を表す

試合での伊藤。基本はオーソドックス型だがスイッチも得意だった

 ボクシングを始めたのは高校に入学してから。伊藤は中学までバスケットボール部に所属していたが、進学先の日章学園高校(宮崎県)がボクシングの名門で、当時、ボクシング部の監督だった菊池浩吉氏に体験を勧められると、その難しさに気づき、負けず嫌いに火がついたと伊藤は振り返った。

 キャリア1年で全日本女子大会で優勝。大舞台でも左右をスイッチしながら豪快に攻める勝負度胸を披露した。「ボクシングをそれほど長く続ける予定はない」とも当時は話していた伊藤だが、10年間、リングに上がり続けてきたモチベーションを、出会った人たちの優しさに尽きると断言する。 「人生の中でボクシング関係者との出会いが圧倒的に多いですから。なかなか結果に恵まれなかったことには、運をつかめなかったとも自分は考えているんですけど、人に恵まれたことには、大きな運を感じています」 

 2015年に自衛隊体育学校に入ったのも、ある悩み相談がきっかけだった。在学していた拓殖大学が全日本大学王座決定戦を制した際、その祝賀会で、同体育学校の現監督で1996年アトランタ五輪ミドル級代表でもあった本 博国氏(もと ひろくに/アテネ、北京、ロンドン五輪監督)に、強くなる方法を伺ったときのこと。たまたま同校がボクシング班に女子選手を入れる試みを検討していたのも重なった。

■自衛隊女子ボクシング1期生に

自衛隊体育学校で女子担当の須佐勝明コーチ(左)と伊藤(右)

 大学卒業後、伊藤は同校第1期の女子ボクサーになった(2017年アジア女子選手権銅メダリストの小村つばさと2人で1期生)。だが、在校中の試合で、伊藤はバックステップを踏んだ際、レフェリーに足が引っかかってしまい、練習を数ヶ月行えなくなったことがあった。しかも、全治した頃には、世界選手権の代表選考会が待っていた。いきなり日本のトップ選手である新本亜也(美づ葉)と戦うハードスケジュール。
 「今まで当たり前にやってきたボクシングを、久々にやって、いかにハードか気づきました。でも、負けるとやっぱり悔しくて、悩みながらもまた頑張ろうってなっていましたね」  

2016年全日本選手権バンタム級決勝の新本対伊藤(右)

 新本とは2016年全日本選手権(愛媛・大三島大会)のバンタム級決勝でも対戦したが、ここでもポイント負け。ただ、どこかで納得もできたのか、伊藤の選手としてのキャリアはここで終わっている。
 「やめてみて確認できたのは選手は戦っているときが一番輝くこと。でも、やめてみると視野が広がることも分かりました」  

 今後、活躍の場をボクシング、自衛隊から民間企業の営業となる伊藤だが、持ち前の不屈の精神で戦い続けたいと誓った。(善理 俊哉)

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