古賀稔彦の死去に”後輩”吉田秀彦「奇跡を信じたが叶わず」
柔道五輪金メダリストの古賀稔彦が24日早朝、自宅で死去した。53歳だった。昨年、癌と診断され手術、自宅療養中だった。
古賀は”平成の三四郎”の異名をとり、1992年のバルセロナオリンピック柔道男子71kg級で金メダル。後輩の吉田秀彦は78kg級で金メダルを獲得した。
その吉田が古賀の死去に追悼メッセージを文章で報道機関に送った。
吉田は「最後まで奇跡を信じていましたが叶いませんでした」と病気からの復活を信じていたが叶わず、続けて「まだ信じられない気持ちで一杯」だと綴られる。
そしてこれまでを振り返り、中学3年生で講道学舎に入門した際、当時弱かった吉田を古賀は付き人に指名。その後、練習から私生活でも常に行動を共にし柔道の技術的にも、精神的にも強くなれたと感謝。「今の私があるのは古賀先輩のお陰と言っても過言ではありません」と吉田は綴った。
92年のバルセロナ五輪では、五輪の10日前に吉田との乱取り中にヒザを負傷した古賀。練習も思うようにできない中、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得した。それについては「バルセロナオリンピックでは、怪我で柔道が出来る状態ではなかった古賀先輩が優勝した瞬間、私が金メダルを取ったとき以上の喜びを感じました。古賀先輩が見せたあの精神力は、今も私の支えとなっています。二人で勝ち取ったバルセロナオリンピックの金メダルは一生の宝です」と感謝した。
編集部では2009年、吉田と古賀の対談を取材、そのときバルセロナ五輪前にヒザを怪我した裏エピソードとして古賀は「吉田が怪我させたみたいに言われてましたけど、本当はあれは僕が技をかけて勝手に怪我しちゃったんです、実は吉田は僕の技の受け手として立ってただけだったんですよ」と後輩吉田を気遣っている。
最後に、2000年に選手引退後、柔道界の発展に尽力した”古賀先輩”に「私から人生の金メダルを送らせていただきます。ご冥福を心よりお祈りいたします。」と吉田は綴った。
▶︎(動画)昨年出演したバラエティ番組で元気な姿を見せていた古賀
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