アントニオ猪木さんの墓は横浜の総持寺に、猪木像も計画、人格形成は鹿児島出身の父が影響=実弟・啓介さん
昨日27日、幕張メッセで行われた『東京コミコン』にて、アントニオ猪木さんの実弟の猪木啓介さんとプロレスラー蝶野正洋さんの対談が行われ、猪木さんの幼い頃からこれまの様々なエピソードが語られた。
【フォト】対談する蝶野さんと猪木の弟啓介さん、純金の猪木像も
啓介さんは72年の新日本プロレス旗揚げから営業で猪木さんを支えてきた一人。蝶野さんは84年に新日本プロレスに入団し猪木さんの付き人となった。
啓介さんは猪木さんについて「兄貴は大きな夢を持っていた。とてつもない、想像もつかないことを平気で言ったりする。側にいて、”そんなことできないじゃないか”って思っているとマズいって言うね。それにちゃんとついて行かないと」とその大変さを述べるも「本当に成し遂げてしまう」と称えた。さらに本名である猪木寛二もアントニオ猪木とは別人物であると言う人もいるが、一緒であるとし、大きな夢を持つのが兄貴であると語った。
蝶野さんは「その突拍子もない行動力とか発想力は父系か母系か」と聞くと啓介さんは「どちらかと言うと父方だと思う。みんなじいさんと言うんですが、父です。父は実業家で、その前は警視庁の警察官。鹿児島出身ですから。鹿児島人と言うのはみんな警察官になるのが夢でしたから。猪木家は鹿児島県の出水出身です。親父は実業家でもあり、横浜市の市議会議員選挙にも出たんですよ」と政治家でもあったことを語った。
猪木さんはプロレス以外に事業にも着手し、国会議員にもなった。猪木さんが5歳の時に父が亡くなっているが、幼いながらにその背中を見ていたのだろう。父が他界した後、猪木家の商売(石炭商)は傾き倒産、猪木家は一家でブラジルに移住した。その頃の貧しかった生活も語った啓介さんだが、母の教えも猪木さんに影響を与えたと言う。「心の貧乏人になるなとか、威張ってはいけないよとかね」と猪木さんが形成されてきたエピソードを語った。
父の鹿児島や、母の実家の栃木などゆかりの地に”猪木像”を建てるなどの話は今後出てくるのでは、と蝶野さんが言うと啓介さんは「お墓には作ろうと予定をしています。鶴見(横浜市)の本山に」と言う。この本山とは曹洞宗本山 総持寺で、石原裕次郎の墓があることでも有名だ。猪木さんの墓と銅像が完成したらプロレスファンの聖地にもなるだろう。完成も楽しみにしたい。
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