故・山崎照朝の弔辞に”極真の虎”添野義二「もう一人の自分がいなくなった」黄金時代のエピソードも
6月26日(木)、埼玉県越谷市内にて、22日に死去した極真会館の初代全日本王者の山崎照朝氏(77)の葬儀が行われ、士道館の添野義二総帥(77)が弔辞を述べた。
山崎氏と添野氏は、極真会館の第1回全日本大会で対戦し、激闘の末、山崎氏が判定勝利。2人は極真の龍虎と呼ばれ、ライバルとして鎬を削っていた。
【フォト】弔辞を読む添野氏、第1回全日本で優勝した山崎、添野、指導した芦原英幸の姿も
添野氏は「戦友・山崎照朝、謹んでお別れの言葉を申し上げます。突然の悲報に言葉を失いました。まるで、もう1人の自分がいなくなったようです」と哀悼の意を表した。
続けて「君は自分では練習をしていないと言いながら、実は宮本武蔵の『独行道』を部屋に掲げ、毎日鉄下駄をはいて3千本の蹴りをするなど、陰の努力家でしたね。昭和44年4月15日、大田区体育館でキックボクシングを一緒にデビューし、その後、第1回(極真)オープントーナメント全日本選手権に出場いたしました。あの時は、中村忠先輩、大山茂先輩、泰彦先輩、芦原(英幸)先輩など、極真を支えた先輩方がいなく、2人で極真の金看板を背負うことになり、内心、心細かったことを覚えています。大山(倍達)先生が当時マスコミに、“添野と山崎の体を触れることはできない”と、大きなリップサービスをしたのには参りました。しかし、その中でも君は本当に強かった」と、山崎氏の生前の強さは人知れず行っていた努力の賜と称えた。
さらに「その一方で、君は歌手を目指していたね。山梨県民らしく武田信玄を歌っていたことを思い出します。ぶどうが好きで食べるのも早かったな。夏は四国の芦原先輩の合宿に、城西の空手部と一緒に松山での稽古。八幡浜でも海で遊んだり、懐かしい思い出です」と、同じ時代を共に生きた“戦友”との思い出を振り返った。
最後に「極真の竜・山崎照朝、君には華があった。あの華麗な蹴りは永遠に語り継がれるでしょう。本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください」と締めくくった。
山崎氏は先月5月初旬より体調を崩し検査入院。胆管がんの治療に専念したが22日に死去。葬儀には山崎氏がこれまで強く関わった極真空手、キックボクシング、ボクシング、女子プロレスなどの格闘技関係や記者仲間など多くが参列した。
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