【空手】極真の大会が始まって今日で50年、第1回王者・山崎照朝氏が語る極真ルール誕生秘話
昭和44年(1969年)9月20日(土)、極真会館の初の大会『第1回全日本空手道選手権大会』が開催された。2019年9月20日(金)でちょうど50年になる。
今日までの半世紀、多くの強豪を出してきた。劇画『空手バカ一代』や映画『地上最強のカラテ』のヒットもあった。また極真から独立した正道会館がK-1を作り世界に広がりを見せた。
地上最強と言われた空手は年々競技化し、ルールが整備され、現在少年部の大会も盛り上がる。キックボクシングで無敗を誇る那須川天心も小学生のころ極真を始め、極真(松井館長)の国際大会10歳の部で優勝、小学6年の時は新極真会のドリームカップで3位に入賞している。スアキムを撃破した胴回し回転蹴りは極真時代から得意とした技だ。
那須川以外にも極真、フルコンタクトルールの空手がベースとなり、ボクシング、キック、総合格闘技で活躍する選手が増えている。
そこで、この立ち技格闘技の礎とも言える極真の大会が初めて開かれて半世紀を記念し、極真の第1回全日本大会で優勝した、山崎照朝氏(72歳=当時22歳)に、このルールが出来たエピソードを聞いた。
当時のパンフレットを見ると、ルールは顔面への突き、肘打ちこそ禁止だったが、掌底による顔面牽制(けんせい)は可能。足技の顔面攻撃は可能、突きは3連打以上は反則(翌年から無制限)。一瞬の掴みなら投げも可能だ。
山崎氏は当時のルールについて振り返る。「大山(倍達)館長の当初のルール構想は素手で顔面突きあり、金的蹴りあり、投げ、グラウンドありで”真の日本一を決める”というものでした。しかし、それは叶わなかった、大山館長曰く警察に止められたと聞いています」と前例のない過激ルールのためか警察に相談していたという。許可が出ていたら世界の格闘技の歴史が変わっていただろう。
当時の極真では投げ、寝技の練習もしていた。山崎氏は「池袋の本部道場の1階には畳がしいてあり、投げ、寝技の練習をしてましたし、大山館長も寝技は得意だったですから。当時の極真は今の総合ルールに近いですね」という。
全日本大会は69年の9月に開催されたが、その年の初めにNET(現・テレビ朝日)から極真にワールドキックボクシング参戦の話があり、山崎照朝、添野義二、及川宏が選ばれ極真ジム所属として参戦。4月15日に行われた『ワールドキックボクシング旗揚げ戦』では山崎氏は2戦だけという約束で出場したが、1戦目はタイの選手に2RでKO勝ち、10日後の第2戦では、第1戦で添野を判定で破ったムエタイ選手にKOで勝ち、2連続KO勝利した。
「この結果がテレビで放送され、極真は知られるようになりました」とまだ無名の極真が全国放送で知られるようになった。週刊少年マガジンでブームとなる『空手バカ一代』の連載が始まる3年前の話だ。
▶︎次ページはこれで自信を持って全日本大会開催を決意、大山倍達がルール決定に至り警察に持っていく
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