故・”熊殺し”ウイリー、息子や親友が語るウィリーの生き様とは
極真空手時代に”熊殺し” の異名をとった、ウィリー・ウイリアムス(本名 カマウ・オクバー)氏が6月7日、68歳で米国にて死去。
葬儀は米・ノースカロライナで6月14日に多くの参列者とともに執り行われた。
葬儀を済ませた息子、クビキンデ・オクバー氏が日本にファンへ父の思い出を語った。
「私の父は、素晴らしい情熱、集中力、そして精神力の持ち主でした。父は生涯を空手に捧げ、常に空手家であり続けようと生涯を全うしました。父は常に自分の経験や知識を伝えていく事を喜びとし、仲間や後輩たちが上達していく姿を見るのが好きでした」と空手家として、指導者としての父を語った。
そして常に口にしていたことがあるという。
「今この瞬間に立ち戻ってよく考えるんだ。Be here now、父はいつもこう問いかけていました。
今ここにいられる事、感謝するんだという事です。そうすれば、目の前にどんなに困難があっても乗り越えられる。そう言いたかったようです」
Be here now、過去の遺恨、未来の不安に惑わされず、この瞬間に想いを馳せ、ただその時を生きる。それができたら、熊殺し以上の本当に強い人間として生きることができるだろう。
最後に「父は次の世界へと旅立ちました。長年に渡り、多くの友人やファンに支えられてきました。父に代わり感謝を申し上げます。押忍」と結んだ。
ウイリーは大山茂氏や黒崎健時氏に感銘を受け、日本の武道精神を学んだ。武道家は第一に強く、しかし、同時に礼儀正しく、人にやさしくなくてはならないとウィリーは考えていたという。そう答えてくれたのはウイリーの大親友であるノースカロライナ州の極真空手道場で師範を務めるケニー・バッファロー氏。
「ウイリーとは40年以上もの間兄弟のように仲良くしていた大親友でした。 彼はパワーファイターでしたが、とても思慮深く、人を愛し、人を助けるのが好きな男でした。 彼は日本の武士道精神を信奉し、その規律に従って常に生きてきました。 そしていつも私と私の息子のクリスチャンに稽古を付けてくれ、6月7日に亡くなる2ヶ月前までは本当に厳しい稽古を課してくれていました」という。
ウィリー・ウィリアムス氏は1951年4月14日アメリカ・ノースカロライナ州出身。(遺族によると誕生日が7月14日と紹介されているところが多いが実際は4月14日生まれ)。
身長196cm、体重100kg(現役時)。米国の極真空手・大山茂の門下生となり、極真空手梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』でアメリカの強豪空手家として度々登場。
さらに1976年製作の映画『地上最強のカラテPART2』では巨大なグリズリーとの闘いを披露し、“熊殺し”の異名を取る。
1979年の極真会館主催の第2回全世界空手道選手権大会で圧倒的強さで勝ち上がり、準決勝で後の全日本三連覇を成し遂げる三瓶啓二に謎の反則攻撃を重ね失格。
翌年、アントニオ猪木と格闘技世界一決定戦(ウィリーはグローブを着用)が組まれ、”極真空手vsプロレス”の様相を呈するも激闘の結果、両者ドクターストップによる引き分けに終わった。その後も空手の試合やプロレスで活躍。格闘家を引退してからは空手のインストラクターをやりながら木彫り職人として生計を立てていた。
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