【コラム】レミギウスの命日に偲ぶ、生い立ちと現在も残る銃弾の跡
日本の大晦日に格闘技イベントが根付いて早20年。この華やかな舞台で活躍したファイターたちは、その後も順風満帆な人生を送っている――とは限らない。その雄姿に魅了されたファンたちを残して、突然、この世を去るファイターもいる。
東欧バルト三国、リトアニア出身のレミギウス・モリカビュチスは、身長168cmという、ミドル級では一見して小柄なMMA選手にも関わらず、『ZST』や『HERO’S』で活躍。小さなミルコとも言われた。
瞬発的なKOパンチを駆使し、2005年10月の『K-1』デビュー戦ではKO勝利、同年大みそかのK-1Dynamite!!にて永田克彦と対戦し、判定負けも、翌年2月の『K-1 WORLD MAX』では、我龍真吾に1R開始8秒で飛び膝蹴りでKO勝ち。K-1史上、最短KO記録を作った。同年4月には魔裟斗に挑むなど、日本の格闘技ファンから広く愛される存在となった。2014年には一度選手活動を休止。しかし、2017年からの復帰を志し、トレーニングを再開していたが、その最中の2016年12月21日、故郷であるリトアニア第2の都市カウナスで銃撃に遭って死去。34歳の若さだった。
事件の現場である集合アパートの入り口には今も痛ましく、レミギウスに放った自動小銃の跡が残っていた。それを見つめる筆者に、「日本から来たのかい?」と言って、住人が涙ぐんで故人を振り返った。
「彼は不遇の時代のリトアニアで生きていたから、幼少期の友人には、闇社会で生きる人間も少なくなかった。その関係でトラブルを持って、ここで待ち伏せされ、部屋に逃げ込む直前に“カラシニコフ”(自動小銃AK-47の俗称)を数発、胸に受けたんだ」
遺骨は今もこのアパート内に住む妻が4人を子育てしながら保管しているという。
「リトアニア独立革命」の不安定な政治情勢で、レミギウスは祖母に預けられて育った。「ファイトマネーも難病を患った祖母の治療費に充てていた」というエピソードは有名だ。それ以前からリトアニアは強国に振り回された不運な歴史を持つが、現在はEU(ヨーロッパ連合)の中で経済成長。このカウナスでも、クリスマスツリーが華やかに彩られており、かつての東欧が見せていた沈鬱ムードとは、まるで別世界だ。
そして格闘技が根強い。15日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたWBO世界ウェルター級タイトルマッチで、王者テレンス・クロフォード(米国)に21勝(17KO)無敗1分の好成績で挑み、9回でTKO負けしたエギディウス・カバラウスカス(リトアニア)も、米国在住とはいえ、このカウナス出身だ。
筆者がカウナス滞在中には、定例のアマチュアキック戦が“K-1ルール”として行われていた。
出場する若手選手が筆者にこう豪語した。
「狭い国土、少ない人口でも我々の国が強豪を輩出できる秘訣は、個々の情熱だけじゃない。戦いの歴史で培われた誇りの共鳴があるからだ」
12月21日はレミギウスの命日となる。日本では事件後、レミギウスと戦った所英男や勝村周一朗らの有志が「レミーガ追悼委員会」を結成し、支援金を集めて遺族に送ったが、彼から勇気を授けられたファンは、今も壮大にいることだろう。(善理俊哉)
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