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【17年前の今日】ヒョードルvs藤田和之が大激闘、榊原代表体制で第1回目のPRIDE

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2020/06/08(月)UP

PRIDEヘビー級王者時代のヒョードル(写真は2006年時のもの)

 今から17年前の2003年6月8日『PRIDE.26』が横浜アリーナで開催された。『PRIDE.26』はサブタイトルを『REBORN』と銘うち、森下直人前社長の死去により新社長に就任した榊原信行体制下での第1回大会となった。

 この大会のメインイベントで実施されたのがエメリヤーエンコ・ヒョードルと藤田和之によるノンタイトル戦。ヒョードルはリングスでヘビー級と無差別級の2冠王者に輝いたのち、2002年6月からPRIDEに参戦。セーム・シュルト、ヒース・ヒーリングと降し、前回大会となる2003年3月の『PRIDE.25』で初代ヘビー級王者であったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを判定で破り、第2代PRIDEヘビー級王者に就いていた。

榊原代表体制となって記念すべき第1回大会となった。若き榊原代表(右)と高田延彦氏(2003年撮影)

 対する藤田はレスリング全日本王者を経て新日本プロレス所属のプロレスラーとなり、プロレス活動と並行して総合格闘技にも挑戦。PRIDEには2000年1月の『PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦』から参戦し、ハンス・ナイマン、マーク・ケアーに勝利し、いずれも敗れたもののミルコ・クロコップとは2001年8月と2002年12月の2度に渡り対戦していた。

 ヒョードルは2003年3月の戴冠後、同年4月にリトアニアで行われたBUSHIDO-RINGSでも一本勝ちを収めて凱旋試合。藤田戦は王座の懸からないノンタイトル戦であったが、ヒョードルはここで底の見えない怪物性と王者にふさわしい強さを見せることとなる。

 1R、藤田はジャブを伸ばしながらリングを回る。ヒョードルが組みつかんと出てきても右のカウンターを合わせ、2度目のアタックにバランスを崩して倒れてもすぐ立ち上がり、逆に片足タックルでテイクダウンを迫る。この離れ際に藤田は左フックをヒット。

 ロープ際の藤田にヒョードルは再びプレッシャーを掛けていくが、藤田の右スイングフックがとらえ、ヒョードルが大きく体をグラつかせる。藤田は組みついてテイクダウンし、場内は大歓声でその勝利を後押しする。

 左目じりから出血したヒョードルだが腕を抱え藤田にパウンドを許さず立ち上がり、右ストレートで飛び込むと左ミドルを効かせ、左フックで追い撃ち。これで藤田が倒れると素早く背後についてスリーパーで絞め上げ、怒涛の速攻で逆転一本勝ちを成し遂げた。

 ヒョードルはこの後も連勝を続け、PRIDE消滅までの間、無敗を達成。地上最強、“60億分の1の男”と呼ばれ、2000年12月にTKOで高阪剛に敗北を喫して以来、次の敗戦は2010年6月のファブリシオ・ヴェウドゥム戦まで待つこととなる。だが藤田が右フックでヒョードルをグラつかせた瞬間は絶対王者が最も追い詰められた場面として、その後も繰り返し映像が使用され、後々までの語り草となった。

▼2003年 ヒョードルvs藤田 ハイライト動画

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