【9.18命日】山本KID死去から6年、姉・美憂がKIDを偲んだ楽曲をシェア
山本KID徳郁の死去から早くも6年。命日の本日・9月18日に姉の山本美憂がSNSで弟を歌った楽曲を共有した。この楽曲がKIDが亡くなった直後にレゲエDJのKUNIMITSUがYoutubeに公開した「『HERO』〜R.I.P 神の子」だ。美憂のシェアにKUNIMITSUは「美憂さんありがとうございます。今日は日本中がKIDさんを思い出す日」とコメントした。
【フォト&動画】KIDの計量時のバキバキボディと豪快なKOシーン!追悼の楽曲
この曲はKUNIMITSU氏がKIDが亡くなった直後に作った歌で「初めて見たのは中学の時、金髪坊主の逆三角形の超カッコいい」と自ら惚れていたことを綴ったが「突然の別れのお知らせ」とその気持ちを歌に込めている。
山本KID徳郁は高校までレスリングを続け、総合格闘技に転向。2001年に修斗でプロデビュー。瞬く間に格闘技界の中心人物となり、K-1、HERO’S、Dynamite!、UFCなどで活躍。2004年大晦日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』では、今も「世紀の一戦」と語り継がれる魔裟斗との激戦を演じた。2006年5月3日、HERO’Sで開始4秒の左跳び膝蹴り一発で失神KO勝ち。これが当時日本MMA史上最短KO記録となる。
15年には大みそか『NIPPONFIGHT』で一度限りの復帰を表明した魔裟斗と11年ぶりに再戦。2ラウンド目に左フックでダウンを奪われ0-3の判定で敗れた。これが最後の試合となった。
2008年にオープンしたスポーツジム「ヤマモト・スポーツ・アカデミー」(YSA)で「KRAZY BEE」を結成。これから指導者としても伸ばしていこうとするところだったが2018年に、がん闘病を発表し、同年9月18日に41歳の若さで亡くなった。
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