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大仁田厚、7度目の引退試合後もファンと2ショットの列、プロレスラーとして最後の別れ

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2017/10/31(火)UP

「大仁田厚・ファイナル」
2017年10月31日 後楽園ホール

体力の限界とし7度目の引退マッチ。観客の声援に涙ながらに応えた=17年10月

 プロレスラーの大仁田厚(60)が10月31日、7度目の引退興行を行った。場所は大仁田が1974年、全日本プロレスでデビューした後楽園ホール。  
 2000人満員の観客で埋まった会場では、開場の17時から人が詰めかけ大仁田との2ショット券をゲットしたファンらが列をなした。2ショットは予定の18時でも終わらず、試合時間を遅らせて18時半まで行なった。  

 試合では6人タッグのストリートファイトデスマッチで大仁田が鷹木信悟、KAIと組み、対するは猪木イズム最後の継承者である藤田和之がケンドー・カシン、NOSAWA論外と組み激闘を展開。イス攻撃、毒霧、有刺鉄線バットが飛び出し、最後は大仁田が論外へのサンダーファイヤーパワーボムを決め16分48秒、大仁田がフォール3カウントで勝利した。

 試合後、引退セレモニーで大仁田は「こんなウソつきと、こんな弱い男に、たくさんの応援ありがとう。1つだけ、大仁田のいいところがあります。それは絶対に諦めないこと、夢を諦めんな!」と大仁田節。そしてファンに「お前ら、40何年間、ありがとよ!」と絶叫。

 大盛りあがりの中、リングを降り、ファンにもみくちゃにされながらも入り口に。傷だらけながら試合前に捌き切れなかった2ショット撮影を22時近くまで応じ、ファンを送り届けた。

 こうして7度目の引退が終了、肉体の限界として今後プロレスラーとしての復帰はないという。大仁田の次のアクションは如何に。大仁田は常々、いじめ撲滅、子供達が夢を持てる社会の実現。そのために親世代が夢を持って生きなければならない、など語っているが、大仁田の今後の動向を見守りたい。  

♢大仁田厚=1957年10月25日生まれ。長崎県出身。1974年、全日本プロレスよりデビュー。1984年12月にマイティ井上に敗れ、ヒザの怪我もありジャイアント馬場から引退勧告を受け、85年1月日に後楽園ホールで引退式を行った。約4年後の88年12月にプロレスに復帰し1989年FMWを立ち上げ電流爆破などのパフォーマンスで人気を得ながらも以降、引退と復帰を繰り返す。
 プロレスラー以外にも2001年に明治大学に入学し、同年7月に参議院選挙に出馬し当選。学生政治家として活動するなど夢を実現してきた。
 2005年、大学の卒業式後、大学とプロレスの卒業として3度目の引退興行も翌年復帰。2007年には政界の引退を発表したが、2009年、生まれ故郷、長崎の県知事選に立候補することからプロレスを5度目の引退を発表。県知事戦に落選後プロレス復帰。2010年5月に6度目の引退を発表するも数ヶ月後に復帰し、今回、肉体の限界として7度目の引退を行なった。

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