【RIZIN】山本”KID”徳郁、壮絶な最後の戦いを榊原委員長が明かす
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9月30日(日)さいたまスーパーアリーナで開催される『RIZIN.13』の記者会見が、20日(木)都内にて行われた。
会見では榊原信行RIZIN実行委員長が、9月18日(火)に41歳で死去した山本”KID”徳郁についてコメントした。
「がんで闘病していることは随分前から聞いていましたし、家族とKID選手のがんとの戦いに関しては断片的には情報がありました。訃報を聞いた時はついにその時がきたんだ、という悔しさと彼の無念、41歳で命が終わっていくのは本当に悲しいことですが、本人が一番悔しい、つらいだろうなという気持ちになりました」
RIZINにとってのKIDについては、こう語った。
「KID選手はPRIDEにもRIZINにも出場していませんが、同じ格闘技界なので親交はありました。甥っ子にあたる美憂の息子アーセンがRIZINで総合格闘技のデビュー戦を迎えることで、ジムのオーナーという形でKID選手とコミュニケーションをとらせていただいてきました。その際、KID選手にもRIZINに出て欲しいと求めていたんです。日本の格闘技界を復興させるために出て欲しい選手の一人でした。UFCとの契約が終了したら出て欲しいと出場交渉もしました。
がんであることも早くから知っていました。それでも僕らとしては、がんを克服して出場して欲しいと伝えました。KID選手はトップ選手でありながら指導能力が高い。日本の宝を失ったと思います。選手としても指導者としても格闘技界のためにもっと尽力して欲しかった」
さらに榊原代表は、KIDの壮絶ながんとの戦いについても明かした。
「僕らには一切しんどい姿を見せませんでした。がんであることは2年以上前からご家族から聞いていました。でもKID選手はがんであることや闘病していることを感じさせませんでした。そういう姿を見せないし、話もしないので、克服してリングに上がってよという気持ちにさせてくれたんです。最後までそういう弱々しい姿を見せませんでした。最後までもう一度格闘家として戦うことを諦めていなかったので、気丈な態度は素晴らしいと思いました」
今思えば、都内で治療するのではなく、みんなの目に触れないような場所で治療することにしたのは、彼の格闘家としての美学だったと思います。弱いところを最後まで見せたくなかったんでしょうね。その想いしかなかったと思います。写真週刊誌に載せられるので、それだったら先に言おうということで公表しましたが、記事になることがなければ彼は治るまで誰にも明かさずがんと戦い続けたと思います。みんなに気付かれずにがんを克服して、何もなかったかのようにもう一度戦う舞台に現役として戻ることが、KID選手のモチベーションになっていたんだろうなってことは想像できます」
また、KIDと山本美憂の父・郁榮氏は「よくここまで頑張ってくれた、と言っていました。ご家族は6月末にもう危ないと聞かされていたようです。そこを乗り越えて、よくやってくれたという感じでした。それから3カ月、壮絶な戦いを繰り広げたことに凄く誇れる息子だと郁榮さんは言っていました」という。
『RIZIN.13』では遺族と相談の上、何らかの形でKID追悼セレモニーを行う予定だ。
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