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【空手】黒澤浩樹を偲ぶ会に松井章奎、増田章の極真三強揃う

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2017/07/07(金)UP

黒澤浩樹館長の偲ぶ会にかつて黒澤氏(中央写真)と共に極真三強と謳われた松井章奎氏(左)と増田章氏(右)が揃う。1995年4月に極真が大きく分裂して以降、この3人が揃うことはなかった

 7月7日(金)東京・中野区の聖心館空手道本部道場にて、故・黒澤浩樹館長を偲ぶ会が催された。

 黒澤館長は極真空手の強豪として知られ、1984年第16回全日本選手権大会で優勝、1991年第5回全世界選手権大会で3位などの実績を残した。また、PRIDEやK-1などプロのリングでも活躍。1998年には極真会館から独立し黒澤道場(後に聖心館空手道に改称)を設立。近年は後進の指導と空手の普及のため尽力していた。昨年、膝の手術を受け、リハビリ中であったが、3月25日に急性心不全のため他界。54歳だった。  

黒澤弘美氏と発起人の面々。左から偲ぶ会の代表発起人で空手の師であった山田雅俊氏、岩崎達也氏、松井章奎氏、黒澤弘美氏、増田章氏、東海大学教授の玉木哲朗氏

 葬儀告別式は近親者のみで執り行われたが、故人の生前の極真会館を始めとする空手・格闘技関係者らへの感謝の想いを伝えるべく、今回の偲ぶ会が開催された。

 会にはかつて黒澤氏と共に“極真三強”と呼ばれた松井章奎・極真会館館長、増田章・IBMA極真会館師範が出席。黒澤氏は遺影だが、1995年4月に極真が大きく分裂して以降、この3人が揃うことはなかった。
 更に黒澤氏と激戦を展開した七戸康博・社団法人極真会館理事長、PRIDEやK-1で黒澤氏と戦った角田信朗など約80人が出席。

 増田氏は「大山倍達総裁存命時に、極真空手の価値を高めるため共に戦った戦友だったと思っております」とスピーチ。

 松井氏は「20年が経過して残念ながらこういった形での再会となってしまいました。もし握手が出来ていたならどんなに嬉しかっただろうか。大山総裁がよく言われていましたが、虎は死んで皮を残す、人は死んで名を残す。黒澤君はまさにそういう生き様をした男だったと思います」と評した。

黒澤氏(右)が、指を骨折したまま戦い続けた七戸戦(1991年6月 全日本ウエイト制大会)

 黒澤氏と全日本ウェイト制選手権大会で対戦した七戸氏は、「黒澤師範は強いです。全日本ウェイト制選手権で試合をした時、黒澤師範は指を骨折してしまい、本当なら棄権するところです(骨折した指の骨が皮を突き破って外に飛び出ていた)。でもそれでも戦い続けました。本当に凄いと思います。気持ちが凄いと思います。本当に黒澤師範は強かったと思います」とかつてのライバルを称えた。

偲ぶ会には約80人の関係者が集まった

 同世代で共に戦った選手の中で出席できなかった緑健児=新極真会代表、八巻健弐=八巻空手代表、マイケル・トンプソン、デビッド・ピックソールらからは弔辞が贈られ読み上げられた。

 また会では新たに聖心館師範に任命された水島良治氏号令のもと、子供達の元気な演武が披露された。黒澤館長に弟子として長く仕えた水島氏のことを黒澤は常々「次期師範は水島で俺は影で支える」と言っていたという。

黒澤浩樹館長の極真時代の黒帯

 会の最後には黒澤氏の妻・弘美さんの、聖心館の代表就任が発表された。
 弘美さんは黒澤館長他界後、聖心館から身を引こうとしたが、道場関係者、道場生、父兄の勧めもあり代表に就任することを承諾。「空手家ではございません私ですが、黒澤が遺しました大切な道場生たちを守り抜きながら大切な道場を守っていく所存でございます」と弘美代表が挨拶。水島氏は空手の指導、弘美さんは経営と黒澤館長が遺した言葉を伝えていくと言う。

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・極真伝説の男、黒澤浩樹が逝去

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