【MAキック】闘志衰えず、元王者・竹山晴友がリングを去って30年で還暦の引退試合
2月3日(日)神奈川・ホテル メルパルク横浜で開催されたMA日本キックボクシング連盟主催「村上祭Vol.3 村上竜司 生誕55年記念大会」において、元MA日本キックボクシング連盟ミドル級王者で1989年に30歳でリングを去った竹山晴友(60)の引退試合&セレモニーが30年の時を経て開催された。
80年代に極真空手とキックボクシングで脚光を浴び大活躍した伝説の選手がなぜ今更引退試合なのか。竹山にインタビューすると「引退宣言なんてしていなかったので今でも現役のまま」と衝撃の回答。現役選手として還暦で30年ぶりにリングに上がったのだ。
試合内容に触れる前に、ここで竹山のデビューからリングから遠ざかるまでを簡単に説明したい。
竹山は1958年(昭和33年)、鹿児島県奄美大島出身。20歳の時に上京し、極真会館の大山倍達氏の内弟子として3年間修行。1984年1月の極真第3回世界大会で身長197cmのケニー・ウーテンボガードとの死闘は今も語り草となっている。同年秋開催の全日本大会で準優勝後、打倒ムエタイを掲げキックボクシングに転向。
86年4月、27歳でMAキックボクシングでプロデビュー、国内13連続勝利するなど驚異の快進撃を見せ、竹山の人気は爆発。後楽園ホールは毎興行満員御礼となった。
87年6月にはMAキック日本ミドル級王者に。同年11月にはWKBA世界ウェルター王者ディーノ・ニューガルトから2度のダウンを奪って勝利。当時の格闘技ファンに更に広く知れ渡るようになる。
88年7月、元ムエタイ・ラジャダムナンスタジアムのウエルター級チャンピオンのラクチャートにKO勝利も、同年11月、後楽園ホールで行われたライバルの鈴木秀男にダウンを奪われ判定負けし王座陥落。これが最後の試合となっていた。
まだまだこれからとも言える時期に試合に出なくなった理由を聞くと「当時所属していたジムの先生が辞めることを決意されて」と竹山。
ジムの先生とは、極真の大先輩にあたり73年に引退した全日本キック初代バンタム級王者の大沢昇氏だ。
大沢氏はキックを離れて10年以上が経過し自身の食堂の経営に専念していた最中、竹山はムエタイに勝ちたい一心でキックボクシングを教えて欲しいと駆け込み頭を下げた。大沢氏は何度となく通う竹山の頼みを聞き入れ、食堂の2階を練習場とし、寝る間も惜しんで食堂とトレーナーを掛け持ち竹山を鍛え、王者に育て上げた。
王座陥落したときの竹山の年齢は奇しくも大沢氏が選手を引退したのと同じ30歳。スポーツ選手として一つの区切りとして選ばれる歳でもある。大沢氏は食堂のいち亭主に戻り、竹山は他のジムへ移籍せず、以降、事実上の引退状態となった。
引退試合ではスタミナが切れても闘争心は前に
あれから30年、竹山は空手衣のズボンと黒帯を締めでリングに上がる。試合は3分1R。相手は佐山聡氏の一番弟子でパンクラチオン無差別級王者の桜木裕司(41=掣圏会館)だ。
試合は序盤から竹山が圧力をかけて前に出る。ロングフックを何度も放ち桜木の顔面にヒットさせる。ロー、ミドルと繰り出すも、中盤になると練習不足から息が切れ始め失速気味に。桜木の右フックでマットに崩れると、その後は防戦一方となった。
竹山はしっかりガードするもスタミナは戻らず、気合だけはあり、立ち向かいたいものの体が動かない状態に。終盤はパンチが当たっただけでバランスを崩し倒れてしまう。観客からは「頑張れ竹山」、「まだまだいけるよ」という声援を浴びながら最後まで戦い抜き、終了のゴングが鳴ると観客から大きな拍手が送られた。判定はエキシビションのためドローに。
主催した村上竜司氏はこの一戦を振り返り「竹山さんが還暦ということで記念して引退試合をやらないかと持ちかけました。当初はスネサポーターをしてエキシビションでとお願いしましたが、本人はサポーターをせず真剣勝負で3分3Rやらせろと聞かない。サポーターの方は諦めましたが3分1Rで何とか了承していただきました」と、エキシビションのため勝敗のつかないドロー決着だったが、本人の意向であくまで真剣勝負だったと説明した。
続いての引退セレモニーでは士道館の添野義二館長、新極真会の三好一男副代表らがリングに上がり花束を渡した。
三好氏は竹山と同じく極真総本部出身で、竹山氏が1年後輩にあたる。83年の全日本3位決定戦では竹山と対戦、これが三好氏にとって最後の全日本。その記念すべき最後の相手が竹山だった。三好氏は翌年の世界大会で引退。日本代表として竹山と共に外国選手たちと戦い抜いた。三好氏の竹山の戦う姿を見て「立ち向かう姿は昔のままだった。池袋(極真総本部)を思い出して感動しました」と健闘を讃えた。
竹山や三好氏と共に極真の日本代表として戦った現在プロレスラーの小笠原和彦氏は来賓席で観戦「戦い方がキックというより空手でした。空手衣でリングに上がって戦ったし。最後は空手家としての引退で締めたんでしょう」と最後の戦いに挑んだ竹山の心中を察した。
引退の10カウントゴングでリングを降りた竹山は取材に対し「当たれば何とかなると思ったけど間合いが掴めなかった。30年のブランクは大きいね。仕事ばかりで練習ができなかったのもありますが、相手はヘビー級だから(攻撃、圧力ともに)重かった」と言うもどこかスッキリした表情。
30年の時を経てようやく引退セレモニーが行われたことについて竹山氏は「楽しかった。これで終わりです。今後についての目標などは特にありませんが、空手は青少年育成のため縁があれば教えることもあるかもしれません」と晴れやかに語った。
(吉倉拓児)
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