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第1回「かつての大山道場生の連絡先を入手!」

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 今回から、極真会館の前身である大山道場にまつわる話。夢とロマンがたっぷり詰まった大山道場の取材に奔走していた時のエピソードを綴っていきたいと思う。

 私が『ゴング格闘技』にアルバイトとして入ったのが1989年1月。それから半年後に契約社員、1年後に社員となって、ある程度ページ作成や記事を任されるようになってきた頃の話。この頃と言えば、編集長の近藤隆夫氏(現スポーツライター)、お手伝いで宮地克二氏(現Fight&Life誌編集長)、そして私の3人でゴン格を作っていた。

 たしか1990年の3月頃に初めての後輩が出来て、ようやく雑務から解放されるかと思ったら、激務に耐え切れず半年で辞めてしまった。その後、1991年5月に福島知好氏(前ワールド空手編集長)が入ってきて、編集部は近藤氏と私と3人体制になった……と思ったのもつかの間、近藤氏が1991年11月の極真会館『第5回全世界大会』を前にして辞めてしまい、また2人になってしまったのである。

 編集長が辞めてしまい、どうなるんだろう……と不安に思っていたら、編集人の舟木昭太郎さんから「お前がリーダーとしてやるんだ。大丈夫だ!」と言われ、「そうか!」とその気になって私がゴン格を引っ張っていくことになった。いま思えば、何を根拠にそう言われたのか分からないが、とにかくやるしかないという状況だったのだ。

 それで新体制になって最初に作ったゴン格が、「第5回全世界大会」の試合レポートがメインだった1992年1月号(発売は1991年11月23日)だ。極真からスタートしたことに、何となく縁を感じる。当時のゴン格はプロレス(主にUWF系)と極真がメインで、まだ格闘技とプロレスの住み分けがハッキリ出来ていなかったのと、プロレスが圧倒的な人気を誇っていたのでアントニオ猪木が表紙になったり、大仁田厚が出てきたりとまさにカオス状態。「プロレス事件史」なんていう企画の号を2回やって、2回とも完売したこともプロレスの掲載に拍車をかけていた。

 とにかく売らなければ、とリーダーに任命され、プロレスの企画も連発したのだが、本当にやりたいのはこれじゃないんだよな……という想いは少なからずあった。

 そこで1992年5月号に、満を持して送り出したのが「極真40年史」という企画だった。年表を眺めていたら、大山道場が出来てちょうど40年目にあたる年だった、ということで思いついた企画である。その前々年の5月号で「百人組手伝」という百人組手の特集をやったところ、完売していたので企画はすんなり通った。

 ここで私が目をつけたのが大山道場の存在だった。
書籍などで当時の強豪道場生のエピソードを読み、非常に興味を惹かれたのである。大山道場生にインタビューしたら、極真カラテや大山倍達総裁の歴史が分かって面白いんじゃないか、と。しかも、大山道場生のインタビューなんて読んだことがないから、話題にもなりそう……と考えたのである。

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