■三誠時代を築いたお二人は何をやってもケンカのようになった
ーーこれは意外でした。すると、三瓶師範か中村師範のどちらかが優勝するために自分は頑張ろう、と思っていたわけですね。
「そうですね。我々が防波堤になれればいいな、という考え方でした。私たち の時代はそうですよ。まだ若かったですしね。私が全世界大会に出た時は22歳と26歳くらいの時だったですし。今の選手たちは選手寿命が延びているじゃな いですか。もっともっと大人になって戦っていますからね」
ーーその立場で三瓶師範たちが全世界大会の優勝を目指して稽古しているのをご覧になっていたと思いますが、どんな感じだったのでしょうか?
「優勝を目指している人たちの稽古というものは、鬼気迫るものがありまし た。今から考えると、現役の選手はああでなくてはいけないと思いますよ。我々のように田舎から出てきて、とにかく田舎で極真の黒帯は凄いんだということを 聞かされていた者たちにとっては、だったらその黒帯を取りに東京へ行こうという感覚でしたからね。だから黒帯を取った時点で満足してしまったんです。
大山総裁から大会に出てみろと言われて、ベスト8に初めて入った時に私のおふくろが凄く喜んでくれましてね。こんなに喜んでくれるのなら、来年も頑張ってベスト8に入らないといけないな、と。そんな感覚でしたから、優勝しようなんて大それたことは思わなかったんです」
ーー第2回、第3回大会で最も印象に残っていることは何でしょうか?
「そうですね……当時の決勝を争う先輩方の稽古の姿勢です。これはやはり凄 かったですよ。合宿で相撲をとってもケンカみたいになりますからね。アメリカ遠征に行かないと世界大会に選ばれていても出さないと総裁に言われたり、百人 組手をやらないとそのアメリカ遠征にも行かせないと言われたり、どんどん試練を与えられるんですよ。
その試練の中で、アメリカ遠征に行った時に先輩方と朝に8キロくらい走る んです。最初は和気あいあいとして走っているんですが、三誠時代を築いたお二人は最後の方になるとマラソンでもケンカのようになるんですよ。マラソンで も、相撲でも、腕相撲をやってもケンカのようになるんです。
2人が腕相撲をやった時に私が行事をやったんですが、お互いに有利な組み 方になるまでスタートさせてくれないんですよ(笑)。だから、その負けず嫌いというか、たかが腕相撲、たかがマラソン、たかが相撲でも全てにおいて決勝戦 なんですよね。第2回、第3回でそういう時代に接して、そういう人たちの勝負に対する姿勢を間近で見て教えてもらいました。我々のように、黒帯を取って田 舎に帰ろうとのんびり考えていた人間の考え方の甘さを、まざまざと教えられました。
だから自分が道場を持って教える立場になった時に自分の生徒たちには、こ ういうことがあった、自分がベスト8しか目指さなかったからこういう結果しか残せなかった、みんなは優勝を目指さないとダメだよといつも言っているんで す。一番を目指さないと一番には絶対になれませんよね。
塚本が去年の全日本大会で優勝した時に、“この1年間で僕は日本で一番練習しました”と言ったじゃないですか。誰よりも練習量では負けません、と言ったあの言葉に私は一番感動しました。やっぱり何の世界でも、こうじゃないとダメだなと思いましたね」
ーー三瓶師範と中村師範はやはりダントツだったんですか?
「ダントツですよ。ずば抜けていました。長距離でも短距離でも走ったら速い し、スタミナもあるんです。5人でアメリカ遠征を行ったんですが、その2人以外の私も含めた3人は付いていくのが大変でした。組手をやっても走っても何を やっても凄かったです。そういう方たちと一緒に稽古をさせていただいて、接することが出来たのは今の私の財産ではないでしょうか。
現在、選手強化委員長や総監督をやりながら、全てにおいて決勝戦のように 戦う2人の気持ちを今の選手たちに伝えていくのが私の役割だと思っています。また、それを期待されてこういう役職に抜擢されたんでしょうね。若い選手たち に昔の選手たちのいい面を伝えていくために、指名されたのだと思いますよ」
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