第1回「かつての大山道場生の連絡先を入手!」
さっそく大山総裁の本を書いた知り合いのライターさんに連絡したところ、かつてコメントをもらったことがあるらしく、大山道場生4人の連絡先を教えてもらうことが出来た。“前蹴りの達人”として大山総裁の著書にも度々名前が出てきた安田英治氏、俳優として活躍中だった石橋雅史氏と、目白野天道場時代(目白にあった大山総裁の自宅庭で近所の子供たちに空手を教えていた時代)の弟子2人だ。
その内の1人からは「私たちの思い出にあるだけでいい。いろんなことも見てきているし、話し始めたら綺麗なことばかりじゃない。その中には大山先生にとって話して欲しくないエピソードもあるはず」と取材を断られてしまったが、3人からは話を聞くことが出来た。
ちなみにこの取材を断られた方は、目白野天道場時代の中心人物で、かなり重要なポジションにいた登場人物だった。大山総裁の著書にも名前が出ていたので、ぜひ取材したかったのだが……。
当時はとにかく手探り状態での取材だった。まず安田氏と石橋氏ら3人に会ってインタビューし、昔の写真を貸してもらう。その写真に写っている人物は誰なのかを聞いて、連絡先が分かる人は教えていただき、アポをとって会いに行ってまた写真を借りて……という感じ。手がかりは大山総裁に関する書籍に出ている名前だけで、取材の中でどういう人物がいて何をやっていたのかが明らかになっていった。
その中でも私が最も興味を惹かれた人物、そしてとことん追跡しようと思ったのが、『空手バカ一代』に大山倍達の一番弟子として登場する有明省吾だった。『空手バカ一代』ファンの間でも人気が高く、主人公・大山倍達のために破滅への道を歩み、最後は交通事故で死んでしまうという悲劇の登場人物。余談ではあるが、有明省吾のお墓参りに来た大山倍達が「ありあけー、ばかー、ばかものー」と叫び、「墓参りなど生きている者の自己満足にすぎん!」となぜか歌舞伎の隈取(くまどり)のような顔で泣くシーンは個人的名場面である。
有明省吾が実在したというのは、1989年5月号か6月号くらいにゴン格でやった大山総裁のインタビューで明らかになっていた。本名は春山一郎。当時としてはかなりデカくて、天才的な空手センスを持ち合わせていたという。
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