第9回「猛者たちの凄すぎるエピソード vol.5 ジョン・ブルミン」
あれは1992年ごろだったか。大道塾の東孝塾長から電話がかかってきた。その内容は「ジョン・ブルミンさんが道場に来るから取材に来ないか?」というものだった。ジョン・ブルミン! その名前はもちろん知っていた。劇画『空手バカ一代』で。
『空手バカ一代』でのブルミンは、極真会館総本部が完成した時に、オランダからやってきた空手留学生で“喧嘩十段”芦原英幸のライバルとして描かれる。黒帯研究会で芦原が決闘を申し込み、もしブルミンに自分が負けた時はブルミンを手裏剣で殺し、自分も自殺するというストーリーだ。
勝負は死闘の末に引き分けに終わり、お互いの力を認め合って親友になるという何ともいい結末。ここは『空手バカ一代』の中でもかなりハラハラするところだ。
そんなわけでブルミンを取材できると聞き、喜んで大道塾の道場へ。実物のブルミンも劇画のように巨大で、たしか60歳近かったと思うのだが、軽々と上段廻し蹴りを蹴っていたのには驚いた。さらに、サンドバッグを吊す鉄柱へ向けて思い切り正拳突きを叩き込んでいたのにも驚く。ブルミンはなぜか、正拳突きを縦拳でやっていた。
どういうつながりでブルミンが大道塾にやって来たのか、その理由は忘れてしまったが、黒崎健時先生の道場とリングスに行ったのは覚えている。彼は当時、極真武道会を設立したばかりで、極真武道会の名誉段を黒崎先生と前田日明に授与したのだ。黒崎先生の道場にはクリス・ドールマンやディック・フライも同行していて、みんな直立不動になっていたのを覚えている。黒崎先生はオランダでは伝説的な人物だったのだ。
なぜなら、初期の段階で極真空手をオランダへ教えに行ったのが黒崎先生であり(この様子も空手バカ一代では描かれている。オランダ人道場生と対戦する前に大山倍達総裁に電話をかけ、「大山先生、自分は負けたら腹を切ります!」という有名なシーン)、オランダにキックボクシングを伝えたのも黒崎先生だからだ。今はどうか分からないが、90年代にオランダへ取材に行った記者の話によれば、どこのジムや道場に行っても、大山総裁と黒崎先生の写真が飾ってあったという。
話は戻り、ブルミンがせっかく大道塾の道場へ来るのだからセミナーをやってもらおうということで、東塾長が依頼したらしい。道場にはけっこうな数の道場生が集まっており、ジョン・ブルミンセミナーは始まった。しかし……。
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