第2回「有明省吾の実像を追え!(前編)」
大山総裁は春山のことを「極真史上、最高の天才」「歴代の弟子の中で一番強い」くらいに言っていたのだが、黒崎先生は「そんなことはない」と言う。たしかに大山総裁は身長が高い、身体が大きい選手を好む傾向があり、その要素が加味していたのかもしれない。長身の選手に春山を重ね合わせていたのかもしれないが。
『空手バカ一代』の中で有明省吾は交通事故で死んでしまうのだが、春山が交通事故で亡くなったのは事実のようだ。警察から呼ばれ、遺体を大山総裁と引き取りに行ったと黒崎先生から聞いた。大山総裁は号泣していたというから、やはり春山のことをかなり可愛がっていたのであろう。
また、こんな証言もある。「有明省吾」のモデルは「春山一郎」だが、大山総裁が語っていた春山像は極真の歴史を彩った数々の強豪たちのエピソードが混ざって出来たものなのではないか、ということ。具体的な話は覚えていないのだが、春山に関するエピソードを古参道場生に確認すると、「それは安田英治先輩のことだよ」とか「それは石橋雅史先輩のエピソード」といった声が多く聞かれたのだ。
一番衝撃的だったのは、ムック本『蘇る伝説 大山道場読本』を製作している時に得た証言だった。大山総裁が自宅庭で空手を教えていた時期、いわゆる目白野天道場時代、最年少だったという道場生から聞いた話である。
ムック本の製作段階で、まだ『ゴング格闘技』の大山道場特集に登場していなかった大山道場生を探している内に、その当時最年少だったという道場生の連絡先を手に入れることが出来た。たしか料亭を経営している人でとても忙しかったらしく(取材当時は携帯電話がまだそれほど普及していなかった)、直接話せるまでにかなり時間がかかったと記憶している。
その人(仮にA氏としよう)に取材を申し込む際(どの道場生にも必ず聞いていたのだが)、当時の写真を貸していただけるかどうかを聞くと、意外すぎる言葉が返ってきたのだ。
A氏「何枚かありますよ。ああ、そうだ。漫画に有明省吾っていうのが出てくるじゃない? あのモデルになった先輩も一緒に写っている写真もあったはずですよ」
私「ええっ! 春山一郎の写真があるんですか?」
A氏「いや、その人ではなく別の人なんですよ」
私「えっ……!?」
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