ムエタイ500年の歴史に挑む18歳のミラクルボーイ・名高、史上初の快挙を狙う=2018年12月ベストファイターインタビュー
毎月イーファイトが取材した大会の中から決める格闘技月間ベストファイター賞。2018年12月のベストファイターは、12月9日に神奈川・横浜大さん橋ホールにて開催された『BOM XX The Battle Of Muay Thai 20』でハーキュリ・ペッシーム(タイ)を破り、日本人7人目のラジャダムナン王者となった名高に決定!(2019年1月21日UP)
PROFILE 名高・エイワスポーツジム(本名:吉成名高) |
選考理由
1、「日本人7人目のラジャダムナン王座奪取に成功」
2、「ムエタイで最も層の厚い軽量級での王座獲得」
3、「まだ18歳と若く世界初の2大殿堂外国人王者誕生に期待がかかる」
選考委員
格闘技雑誌Fight&Lifeとイーファイトの全スタッフ
受賞された名高選手には、ゴールドジムより以下の賞品(プロカルシウム 300粒 1個、マルチビタミン&ミネラル 1個、アルティメットリカバリー ブラックマカ&テストフェン+α 240粒 1個と、イーファイトより記念の盾が贈られます。
贈呈:ゴールドジムベストファイター記念インタビュー
「まだ身長も体重も増えているので、もし同じ階級になったら那須川天心選手と戦ってみたい」
■ずっと対策をしていて練習でやっていたことを全部出せたと思います
1966年にキックボクシングが日本で誕生して以来、タイの国技ムエタイに勝つことは日本キックボクシング界最大のテーマだった。
その伝統は今でも脈々と受け継がれており、ルールの違うK-1 WORLD GPスーパー・フェザー級王者の武尊(27=K-1 GYM SAGAMI-ONO KREST)が「日本の格闘技界にとってラジャダムナンの王者(に勝つこと)は永遠のテーマだと思うし、そこを超えるのは日本人格闘家として避けては通れないと思っている」と意識しているほど。
ボクシングのような世界的統一組織がないムエタイは、世界各国に数々の世界タイトルが存在するが、その頂点に立つのは間違いなくタイの2大殿堂であるラジャダムナンスタジアムとルンピニースタジアムが認定する王座だ。
ラジャダムナンスタジアムは1941年、ルンピニースタジアムは1956年に開設された。この長い歴史の中でわずかにラジャダムナンでは10人、ルンピニーでは2人、タイ人以外の外国人選手が王座に就くことに成功している。
日本人では藤原敏男(70)が1978年3月にラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座を奪取。これは2大スタジアムにおける、外国人初のタイトル奪取という歴史的快挙だった。その後、ラジャでは8人の外国人王者が誕生している。
そして2018年12月9日、日本人7人目、外国人としては10人目のラジャ王者が誕生した。しかも史上最年少17歳での快挙達成である。
その快挙を成し遂げたのは名高・エイワスポーツジム(エイワスポーツジム)。本名は吉成名高。ムエタイでは名前(もしくはリングネーム)の後ろにジムやオーナーの名前を付けるのが習わしだ。
名高は小学生時代からアマチュアジュニア大会で17冠王という”天才ムエタイ少年”。プロ転向後は、2017年4月にWMC(世界ムエタイ評議会)世界ピン級王座を獲得。続いて2018年4月には日本人4人目の快挙となるWBC(世界ボクシング評議会)が認定するムエタイ世界王座(ミニフライ級)を獲得。さらに9月には2017年に誕生したIBF(国際ボクシング連盟)が認定するムエタイ世界王座(同級)もKOで獲得し、日本人初のIBFムエタイ世界王者となった。
「最初は空手をやっていて、7歳で初めて大会に出ました。そこから何回か試合に出たんですがなかなか勝てなくて。空手の動きにプラスになればと思ってキックボクシングを始めたんです。それでやっているうちにキックボクシングの方が自分に合っているんじゃないかと思い出して、キック一本に絞ったのが9歳の時です。
アマチュアではちょうど100戦やりました。負けが13回、ドローが何回か。初めてタイで試合をしたのは小学校6年生の時で、そこで何も出来ずに負けてしまって。その時にラジャで初めてムエタイを生で観たんですが、凄くカッコいいなって思ったんです。それまではペトロシアン選手、魔裟斗選手、アンディ・サワー選手とか昔のK-1を動画サイトで良く見ていたんですが、ムエタイは速くてきれいで本当にカッコよかったので、そこからはムエタイでやっていこうと決めました」
名高は初めてラジャでムエタイを見たその日に、「ここで戦ってチャンピオンになりたい」と目標を定めた。ジュニアキックを経て、2016年4月に日本でプロデビュー。そこからも日本とタイで試合を重ね、26戦21勝(11KO)5敗の戦績でラジャのタイトルマッチまでたどり着いた。
王者ハーキュリ・ペッシーム(タイ)はラジャとルンピニー両スタジアムの統一王者(ルンピニー王座は1週間前に返上)。身長173㎝とミニフライ級(-47.62kg)では規格外の身長を持つ。その長身を利した首相撲からのヒザ蹴りを得意とする。
1Rから名高は長身選手に対しての常とう手段であるボディへのパンチを狙っていった。身長163cmの名高が顔面を狙えば距離が遠いので、スウェーでかわされる確率が高い。そこで一発目の顔面へのパンチがかわされても、ボディの位置はそのままなので二発目をボディに当てることが出来る。
「試合前からずっと身長が高い相手の対策をしていて、その練習でやっていたことを全部出せたと思います。作戦通りに動くことが出来ました。ボディはずっと狙っていて当てられたので、相手がスタミナを消耗したのが勝因だと思います。本当はローキックがもっと当たると思っていたんですが、予想以上に距離が遠くて上手く当てられなかったですね」
2Rになるとハーキュリは縦ヒジを振り下ろしてきた。さらに得意の首相撲にも持ち込むが、名高は冷静だった。
「2Rにパンチで行ったらヒジを打って来ました。最初はビックリしたんですが、2回目以降はタイミングが分かって来て全部見えていたので大丈夫でした。ヒザ蹴りは3Rに一発みぞおちにいいのをもらってしまったんですが、それ以外は上手く防げたかなと思います。ミドルとかパンチで自分の攻撃を当てて、首相撲になったら自分の足を相手の腰に押し当てるようにしてヒザ蹴りを打てないようにしていました」
ムエタイで勝敗を左右する最も重要なラウンドと言われている4R、名高は前蹴りでハーキュリを吹っ飛ばして転倒させた。ムエタイではバランスを崩すことは大きなマイナスポイントとなるため、この時点で勝負はあった。
最終5R序盤は逆転を狙ってヒジ・ヒザを狙ってきたハーキュリだが、残り1分半を過ぎると「相手はもう判定勝ちは無理なので倒すしかない状況でした。でもこれ以上攻めても僕を倒せないと断念して諦めたので、最後は流す試合になったと思います。最初に向こうが諦めました」と名高が言うように、両者は攻撃の手を止めてリング内をグルグルと旋回し始めた。これは負けを悟った選手を勝っている選手もそれ以上は攻めないというムエタイ独特の習わし。
そして試合終了のゴングが鳴ると、吉成はマットを叩いて喜ぶ。判定3-0で勝利し、史上最年少で日本人として7人目のラジャダムナン王座に就いた。ムエタイで最も層が厚いとされ、“神の階級”と呼ばれるフェザー級以下の軽量級では史上初の快挙だ(これまでの日本人最軽量級王者はライト級)。
「高校生のうちにラジャのベルトを獲ることはずっと前からの目標だったので、それを達成できたことが嬉しかったです」と、名高はほほ笑んだ。
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